2024.04.24
20240424
1年くらい前になるのか、関西の夕方のニュース番組で、芸人・ミルクボーイがとある家庭にサプライズでお邪魔するというコーナーがあった。その回では、大のミルクボーイファンである小学生の男の子の誕生日をお祝いするために登場するというものだったが、そのご家庭のお父さんがコーナーのラストでこう言ったのでありました。「だんだん大きくなる息子に背を追い抜かれるのがとても楽しみなんです」。
特に珍しい番組でもないし、あのお父さんが言った一言もこれといって特別なものではない。それにもかかわらず私が覚えているのは他でもない、きっと、心の底から「このお父さん、立派だなぁ」と思ったからである。
どうやら世の父親というものは何だかんだと言いながらも我が子が自分の背丈を、もしくは何かしらの力を追い越していくことはこの上ない喜びであるらしい。もちろん、父親も、息子も、そんな成長に対して抱く感情は喜びと同時に一抹の切なさがセットであることは誰も否定しないのだろうけれど、やはり喜びが勝るというのが世の父親と息子の共通したところなのだろう。
話は少し変わり、昔から身長に対して手足が大きかった息子は、この1年ほどは新しい靴を買うことなく、私がもう履かなくなった靴をお下がりで履いていた。しかし、今思えばこの1年は長い人生でほんの一瞬の奇跡のような時間だったのかもしれない。
私、足のサイズ26.0cm(ほんとは25.5cmがぴったりくらい)。息子、足のサイズ26.5cm。とうとう、息子は私の足のサイズを超えてしまった。
ネットで注文をしたあたらしい靴が我が家に届き「試しに履いてみれば」と履かせた靴はそれでもすでにちょうどよいサイズ。「あぁ、でも、ピッタリよ」すっくと立ち上がった息子は、靴の厚み分だけ息子の背を高くし、息子の両目は完全に私を見下ろしていることに気が付く。もしかすると、この靴を履き潰すようなことはないのかもしれない。
一年前に見たあの番組でのお父さんの一言が私の脳裏に浮かんだ。けれど、浮かんだと思った瞬間に見事消え去っていった。私は咄嗟に「み、見んなや!」と震える声で叫んでしまっていた。もちろん、あのお父さんのように、息子が自分を追い越していった瞬間を目の当たりにして喜びがまるでなかったわけではない。けれど、世の父親と違うのは、私の場合、切なさが喜びをちょっぴり上回っていたことだけだ。そこに怒りという名の辛味調味料がパラパラとかかっていただけだ。涙ぐんだのは辛味が結構キツかっただけだ。でも、おいしいかったよ。
あ、靴、キレイに履いてね。それで、その靴、私にちょうだいね。ちょっと大きめの靴は冬場に厚みのある靴下を履いたときにちょうど良さそうなんで。よろしくお願いしまぁーす。
・・・チッ。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です