2024.04.19
20240419
あれは40年以上も前。私がまだ4歳の頃、幼稚園の年中さんだった頃のお話。私の家族は市内で引越しをすることになり、私も当時通っていた保育園からあたらしい幼稚園に転園することになりました。
そんな1982年の引っ越し当日。時代がまだまだ大らかというか、適当というか、4歳の男の子が一人で引越ししたての見知らぬ場所で散歩することを親も許可したのでしょう。私は引っ越しで忙しい大人たちの中にいるのがつまらなくなったので辺りを冒険してみることにしました。
今思えば、“辺り” というには広い範囲、『はじめてのおつかい』どころではない結構な距離を歩いてたんだなぁ、ということになるのですが、しばらく歩いた道中に大きな木に隠れて暗い影を落としていた小さな土地があり、そこにはお世辞にもキレイとはいえない真っ黒なほったて小屋がぽつんと建っておりました。そこでは椎茸栽培をしていたのか、そんな様子もなかったのですがなぜか背の高い椎茸の
原木が100本ほど置いてあり、「なんだこれ」と私がマジマジとそれらを見ていたところ、すぐそばにある坂道には枝を振り回しながらこちらに向かって歩いてくる男の子が一人。枝を振り回しているあたり、なんともベタなザ・昭和の男の子。これは記憶を改竄しているのかもしれませんが、鼻くそもほじっていたように思います。
「おまえ、だれ」。
そこからしばらく会話をしたように思いますが、何を話したのか詳しい内容は覚えていません。覚えているのは「おまえ、だれ。なまえは」「おれ、たくま。おまえは」「おれ、N」という会話だけ。いつ、どこで、どうやったらまた会えるのか、4歳ですからそんなことはもちろんわからないのですけれど、ただ、こいつとは友達になった、という感覚だけはしっかりと残りました。
それまで友達になるのは、親戚や、親の友達のこどもや、保育園で出会った子たち。偶然に出会ったやつと一対一、大人の目がない子どもだけの空間で誰かと友達になったことははじめてだったと思います。自分一人でつくった友達。そのことが4歳ながらにどこか誇らしかったのか、やや興奮をしてあたらしい家へと帰ったことを覚えています。
しばらくして、転園の日。それまでは私服で通う割とラフな保育園に通っていましたから、制服のある幼稚園へ通うことになるのは「なんかちょっと大人じゃん」というような晴々とした気持ちと「やべぇ、ちょっとドキドキする」という不安な気持ちで教室の扉を開けました。
もうお分かりかと思いますが、そうです。同じ制服を着た30人くらいの子たちがこちらをじっと見ているなか、「あ、おまえ!」と席から立ち上がったのが、椎茸栽培をしている場所で会ったNでした。「あ、おまえ!」「あ、おまえ!」。
次の日から、私はNとNの友達だったYと3人で、2年間、子どもの足では30分ほどかかる幼稚園へ歩いて通うことになります。子ども同士、歩いて通っているやつなんて当時でもほとんどいなかったのですが。その後、私は小学生になると同時にまた市内で引越しをすることになるのですけれど、Nとの交流はその後もゆるやかに続き、高校では再び同じ学校に通うことになり、今なお交流の続く私にとっては数少ない友達の一人であります。
・・・とまぁ、どうしてこのような取り留めのない話を書いているのかと申しますと。これは以前にも書いたことがあると思いますが、その際、引越しをした家というのが私の祖父と祖母である「あやこ」の家でございました。そして、今回書いたN。やつの誕生日が「4月21日」なのでございます。
私の奥さま「あやこ」さん。彼女の誕生日は「4月21日」。
うーむ。これを偶然と思うのか。こじつけと思うのか。奇跡と思うのか。運命と思うのか。はたまた、何かの呪いと思うのか。
それはそうとて。もうまもなく、日曜日。4月21日。成瀬文子さん、そして、N。誕生日、おめでとうございます。N、46歳。あやこ、45歳。
時が経つのは早い。ほんとうに早い。
みなさん、どうぞ、よい週末を🫡。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です