2024.03.12
20240312
13年前の3月11日は会社を設立してまもなくの頃で、atelier naruse の仕事をする一方、ライターのお仕事もまだぽつぽつと残っている頃でした。私と成瀬文子さんは当時の自宅で作業をしていて、関西も揺れましたが、震度は3くらい。生まれて2ヶ月が経っていない息子も、先代猫の2匹も、すやすや寝ておりました。
揺れてからしばらくはそのままパソコンの前で仕事をしていましたが、東京にいる仕事仲間からのメールでただごとではないことを知り、慌ててテレビの電源をつけて、そのまま翌日の朝方までテレビを見続け、ラジオを聴き続けました。
ちょうどそのときに書いていたのが同年の6月に発売されることになる『かんさい絵ことば辞典』というイラストレーターのニシワキタダシさんの書籍で、私は同著のコラムページを担当していました。ユーモアなセンスとギャグであふれる一冊だったので、コラムも当然たのしいもの。なんなら、ちょっとふざけたもの。震災から数日はそんなコラムの原稿を書いていてよいものなのか途方に暮れましたが、「こうなったら読んだ人が絶対に笑ってしまうものを書こう」と、書いている内容にはまったく似つかわしくないような形相で筆を進めていたことを覚えています。
そんなふうに毎日のように飛び込んでくる関連ニュースに激しく心を揺さぶられながらも、この経験を機に日本はとびきりいい国になっていくに違いない、という願いのような、希望に満ちた甘い予測みたいなものが少なくとも私の中には同時にあって、今思えば相当無根拠だったのかもしれないそんな “思い” にしがみつくようにして毎日を過ごしていた気がします。
直接の被害はなかった関西に住んでいながらそんな具合だったのですから、被災地にいらっしゃった方々はいかほどだったかと改めて思います。
あれからきょうまでが長かったのか、あっという間だったのか、いずれにしても13年というそれなりの年月が経ち、この間にも大きな被害の出た自然災害を日本は続けて何度も経験し、つい先日も能登半島地震が起こったばかり。そして、今後も大きな地震の発生がいくつも予測されているこの国に住む私たちは、地震の世紀の真っ只中をきょうも生きているのだろうなと思います。
とはいえ、私はそんな “今” を直視しながら毎日を生きていける人間ではありません。ですが、もはや言い訳のきかない立派な中年男性として、子を持つ親として、ひいては日本という国を構成している端くれとして、だったらどう生きるのか、なにをしていくのか、なにができるのか、こういう日にはせめて考えてみるのだと、午後2時46分。今年は一緒にいたスタッフのみんなと黙祷をしながら、そんなことを思っていました。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です