2024.01.23
20240123
こちらを書いている「1月22日」は、息子、13歳の誕生日でございます。
私が息子の誕生日に必ずしていること。「1月22日」の新聞を保管すること。それから、最近は当然のことながらめっちゃ照れてくるのですけれども、抱っこすること。どちらも別にたいしたことではありませんが、なんとなくの習慣でそうしています。
なかでも、まあ、そもそも新聞をいつまで取るのかが怪しいですが、新聞の保管は将来よい記念になるような気がしておりますので、お子さんがいらっしゃるご家庭にはオススメです。まあ、新聞なんてアーカイブのデータであればいつでも読むことができるのでしょうけれども。相も変わらず、“物” であることが重要だと思う価値観で私、生きてございます。
そんなこんなな息子の誕生日。息子が生まれてからというもの、子どもの誕生日が自分の誕生日なんかよりもずっと思い入れがある1日になるのは親の性というやつですが、ここ数年は「え。こいつ、昨日までまだ12歳だったのか」というようなことを毎年思います。それは何も息子に限ったことではなく、周りにいる同年代の子どもたちを見ても、同じくらいの歳の頃だった自分と彼らや彼女らを比べると「随分と立派だなぁ」と思うのです。
そんな立派な子どもたちに感化されて、というのか、知らないうちにそのレベルに親が照準を合わしてしまって、日頃からまるで大人に話すような小難しいことを伝えてみたり、大人に求めるような行動を促してしまっているような気がして、少々反省するのです。子どもたちからすれば「いや、もう大人扱いしてくれて別にいいんですけど」という一面もあるとは思いますが、さりとて「いやいや、まだ13歳だぜ」ということは、親として、大人として心のどこかに持っておかなくてはいけないような気もします。
とはいえ、そんな子どもたちがつくっていくこれからの未来は、なんだか随分とよいものになるような気がして、「そこはまだお前らで頑張れよ」というところなのは分かっていつつも、「おじさん、期待しちゃうな。ウキウキしちゃうぜ」と思う今日この頃なのでございます。
そんなわけで。息子さん、お誕生日、おめでとうございました。ありがとうございます。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です