2023.11.20
20231120
11月12日に KAN が亡くなったという訃報が、11月17日に届きました。KAN は、2005年にオフィシャルホームページをおそらくそのほとんどを自分で開設して、同時に『金曜コラム』というコラムを約10年間、(後半は割とサボりがちになりつつも)毎週金曜日に書いていました。
かくいう私もその後、2014年に facebook で『暮らしの “ピ” ント集【今週の、社長の金(曜日の)言(葉)】 』というコラムを「早川やぁ!次郎」という名前(松浦弥太郎のおまんじゅう、あ、オマージュですね)で毎週金曜日に更新していました。略して “金言” 。もう10年前か。なつかしい。
言わずもがな、この “金曜日” というコンセプトは『金曜コラム』のパクリです。ちなみに私が時おり書く、「今日この頃 → 京子と五郎」や、自分を応援してくれる方に対して「ハイセンスなみなさま」と書くのも、KAN のパクリです。たぶん、ほかにもあるはずです。
そんなふうに、私が今もこうして書いているコラムのような文章は、それが定期的、不定期的であるという違いはあるものの、大学を卒業して、フリーのライターになってからは、だいたいいつもどこかの場所で、なんらかのかたちで書き続けてきました。そして、そんな私の書く文章のリズム感、センスは、大変僭越ではありますが、KAN の書く文章に大変似ていると感じていて、勝手に「生き別れになったお兄ちゃん」だと思っていました。
そんなふうに “お兄ちゃん” と思っていた KAN は、ミュージシャン。一般的には『愛は勝つ』で大ヒットをし、その後に『まゆみ』などでもプチヒット。けれど、その後はいつのまにか表舞台からその名前をあまり聞くことがなくなった、いわゆる一発屋というカテゴリーに属される側面があったかと思います。ただ、私を含め、その音楽や人間性、センスに惹かれ続けたコアなファンがたくさんいることは自分でもわかっていましたし、ミュージシャンズミュージシャンとして、超メジャーどころのアーティストからリスペクトされ続けていることも当然知っていましたが、KAN が亡くなって、なんとなく感じる世間のざわつき加減や、サイレントなファンの多さ、それぞれが好きだと挙げる曲のバラエティーの豊かさをみると、「なんだよ、めっちゃ人気だったんじゃないか」と改めて思いますし、「なんだよ、俺だけのお兄ちゃんじゃなかったのかよ」という大変イタい嫉妬のようなものも感じます。
昔はよく行っていた、今は時折行く中古CD屋さんで KAN の CD が安く売られているのを見つけると、自分は持っているのにわざわざ買って、好きそうな人にあげるという謎の普及活動は、今後やめようと思います。ただの迷惑行為でした。すみません。
対外的にはあくまでも静かに。マイペースに。けれど、その結果生み出されるどれもが上品で、良質で、しかもユーモアがたっぷりと含まれていて。KAN という人が見ていただろう世界のおろかさや儚さや豊かさや美しさを、作品やその人となりを通じて見るのが本当に好きでした。自分でも気づかないうちにたっぷりと染み込んでいた KAN という才能と功績と企みに心から憧れます。
昔、コンサートグッズで KAN の生写真ということで、なにかの “生” と写っているという写真が販売されていました。私は、“生牡蠣” と食べている写真が当たって、「生ビールがよかったなぁ」と思いつつも、その写真は写真立てに入れて、部屋のピアノの上にずっと飾っています。その隣には「ここでいいか」と思って2年前に亡くなった母方の祖母の写真も置いているのですが、いらない意味が出ちゃったな。KANしゃん、サイババ。では、股。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です