最近、 “私” の中のもう一人の “ワタシ” がマイブームにしていることがあるらしい。それは、私がセットしたスマホのアラームが鳴ると、ワタシがすかさず「スヌーズ」にするというものだ。その反射神経とスピードは凄まじい。このあいだなんて、10回はスヌーズされた。ときに、スヌーズされた、スヌーズした、というのは言葉の使い方として合っているのか。
ともあれ。私は昔から朝起きるのが苦手で、子どもが生まれようが、年を重ねようが、その点においてはまったく変わらなかった。大学を卒業しても就職をしなかったのはそのことが大きな原因であると言ってもいい。だったらいっそのこと堂々とすればよいのだけれど、それでもしつこに(あすこそ早く起きるのだ)と寝る前に必ず決意する。そして、それは達成されることなく、毎日若干の自己憐憫と共に朝を迎えている。ちなみに、迎えている朝は世間でいう “朝” ではすでにない時間なのだけれど、“昼” でもないのだということは声を大にして言っておきたい。といったふうに、「だいたい●時に起きている」とここまできても具体的な数字をあげないところに、朝起きることができないということに私は相当なコンプレックスを抱いているのだなと思っていただきたい。
話を元に戻すと、朝の私はワタシに支配されている。ワタシは完全に私とは別人格だ。私はワタシを信用していない。大嫌いだ。大いなる偏見を持ち込むとすれば、ワタシはたとえばダニー・ボイルの映画に登場する人物のような性格をしている。世間なんて関係ない。ワタシはワタシ。自分に甘く、自分勝手でわがままで、そのくせ時に真を食ったようなことを言う。妙に生真面目な私をワタシは小馬鹿にし、子どものように大声で笑いながらすかさず「スヌーズ」をすると、私をふたたび眠りの中へつき落とす。そうしてワタシが眠りにつくころ、私はようやく目を開けることができるのだ。
これまで朝起きることができないという理由を、勉強のせいにし、仕事のせいにし、DNAのせいにし、春眠のせいにし、それでは足らずに秋眠という言葉をつくり、しまいには夏眠という可愛らしい中国女性のような名称を生み出しても飽き足らず、冬眠という言葉に行き着いた頃には、すでにその言葉は別の意味を持って存在していて、もうどうすることもできなくなった私は、ついにワタシのせいにしはじめた。妻は言う。
「いや、みんなふつうにがんばって起きとんねん」
はっ(🫡)。スミマセン(🫡)。来週こそはちょっとでも早く起きる所存であります(🫡)。つーか、もうちょっと早く寝ます(🫡)。みなさま、たのしい週末を(🫡)。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です