私は書く文章が長いです。これには理由がありまして。
私、前職がフリーランスのライターだったのですけれど、雑誌に記事を掲載する際には(特に情報誌とカテゴライズされるものは)書くことができる文字数が事前に細かく設定されていることがほとんどでした。そんな文字数。現在の状況がどうなっているのかはよくわからないのですけれど、少なくとも私がライターのお仕事を現役でさせていただいていた15年ほど前、書くことができる文字数は年々短くなりつつありました。
取材をさせていただいた飲食店の記事を200文字にまとめなさい、という依頼があったとします。文章を書くのが苦手な方はそれでも長い、となってしまうかもしれませんが、この200文字という数字は何かを伝える文章量としてはとってもとっても短い。1時間ほど取材をさせていただいて、その内容を伝える文字数が200字というのは、素直に書いていくとすると、そのお店はいつから、どんな場所にあって、何を専門とする飲食店で、というところで終わってしまう文字数です。もちろん、短い文字数であっても、そのお店の魅力や特長をビシッと紹介するのがライターの腕の見せ所、ということは言えます。たとえば、同時に掲載される写真からわかるような「雰囲気がよさそう」「おいしそう」というありきたりな情報はできる限り削って、文字でしか伝えられないところを書く、といったところは基本的なテクニックのひとつと言えるでしょう。多くのライター同様、私もそんなところに闘志を燃やすタイプではありましたが、それでも(せっかく取材までさせていただいたのになんだかすみません、、、)と思ったことは1度や2度ではございません。
はたまた。
文字数というところに関してすこし乱暴な私見を書きますと、その文字を伝える人の数が多ければ多いほど文字数は少なくなるものである、と思っています。すると当然、人の数が少なければ少ないほど文字数は多くなる。“人の数” は、“人との親密度(距離感・信頼度)” と言い換えてもいいかもしれません。ただし、この場合、“人との親密度が薄ければ薄いほど文字数は少なくなる” 、“人との親密度が濃ければ濃いほど文字数は多くなる” となります。あ、“文字” は、使える “言葉の種類” とも言い換えられますかね。
もちろんこのことは書き言葉だけではなく、話し言葉の場合も同様です。政治家が国民へのメッセージを発する際、往々にしてキャッチコピーのようになるのはこのためだと思っています。もちろん、キャッチコピーのような短い文章や言葉が悪いというわけではありません。短く洗練された文章や言葉は、その文字数の枠を超えた内容を相手に想起させ、伝えることができます。むしろ、長い文章や言葉は(仮にそれがよくまとまったものであったとしても)、それを発する人や、発している内容に興味や関心がなければかえって分かりにくくなってしまうことだってあります。しかしながら、興味や関心があった場合は? やはり短すぎる文章や言葉では「物足りないなあ」と感じることもしばしばです。すくなくとも、私は。
というわけで。
私の文章が長いのは、前職の反動であるとともに、読んでくださるみなさんへの信頼の証。私が猫なら完全におなかを見せながらゴロゴロいってます。というつもりだったのですが。そういえば、私、猫ではございません。猫のようにかわいくもございませんでした。
というようなことをなんとなく考える今日このごろでして。こういうことをツラツラと書いていますと「なんか落ち込んでるんすか?」という気分に自分でもなってきますがそういったことではございませんし「何か変えるつもりなんすか?」「実は、そうなんす」となにかを発表する予定も今のところないのですが、予感だけはあるようなないようなというようなところでございまして。
まあ、なんとなく、春っす。ポカポカ。
つーか、やっぱ長ぇーなー、おい。ポカポカ。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です