バレンタインデーでございます。私、バレンタインデーに特にこれといった思い出はございません。数年前、息子の同級生でもあるかわいい女の子にもらったチョコレートが記憶している人生で最高のバレンタインデーです。
これは何年か前にも別の場所で書いたことがあるように思いますが、あれは高校2年生の頃。(愛しの早川くんにチョコレートをもらってもらうんだっ。せっせ。せっせ。)。そんなふうに手づくりのチョコレートを私のためにつくっている娘がこの町のどこかにきっといる。いいや、いるに違いない。いないわけがない。そう思い込んだ私は、1996年の2月14日、いつものように学校へと登校しました。
しかし、あの14日の朝、実のところ私の身体はベッドからピクリとも動かなかった。なぜなら、熱があったから。そして、おそらくあれは、インフルエンザだったから。今のご時世では考えられませんが、私はベッドという名のリングから10カウントを目前になんとか起き上がり、「俺はきょう、たとえ死んだとしても学校へ行かなければいけないのだ! あの娘のために!」そんな心からの決意を母親に強く訴え、なぜか呆れた顔をする母親の車でしぶしぶ学校まで送ってもらいました。校門から長い坂道を登った場所にあった我が学び舎とその教室。私は母親の乗った車のエンジン音が遠ざかっていくのを背中越しに聞きながら這うようにして坂道をのぼり、這うようにして「2ーF」の教室に入ったことを今でもよく覚えています。(選択肢は2つ。必死に生きるか。必死に死ぬかだ。俺は行く。必ず行く。待っていてくれ、“あの娘”!)。私のその姿は、あの名作『ショーシャンクの空に』のアンディのようでした。
しかし、まるで忍者のような “あの娘” はいつまで経っても現れない。その気配すらない。後ろを見ないふりをしてバッと振り返ってもいない。(さては甲賀流か。。。)。そう思いながら1限目、2限目、3限目。時間だけがむなしくただただ過ぎて行き、チャイムの回数だけが胸に刻まれて行きました。「お前、もう帰れや」というモテない同級生男子たちからの嫉妬の声を左へ受け流しながら、私は静かにその時を待ちました。
あれから、もうすぐ30年。私は今でもその時を待っている状態です。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です