あたらしい一年の始まりは、その楽しみのひとつに “年賀状” があります。小学生や中学生の時は(あの娘から年賀状がきていたらどうしよう。なんて返そう)とポストの扉を開けるたびに無駄なドキドキをしたもんであります。そうそう。最近はその内容がとんとショボくなっちゃっているお年玉付き年賀状の当選番号を15日に新聞紙で見るのもたのしみでしたねえ。いつのまにか、学生時代から独身時代にかけて年賀状のやりとりをすることはほとんどなくなっていたものの、結婚をして、息子が産まれてからはまた徐々に年賀状のやりとりが増えてきました。今ではこの年賀状だけが唯一の交流になった友人、知人もたくさんいますが、それだけに年賀状から垣間見える彼や彼女の近況を一年のはじめにあれこれと想像するのはとてもよいことだと思いますし、なによりたのしいもんでございます。
さて、そんな “年賀状” 。我が家は毎年お仕事用と、プライベート用をそれぞれ用意するのですけれど、ことしは昨年の11月に祖母が他界いたしましたので、ことしは年賀を寒中見舞いにして、本日にでも投函しようと思っています。
ただ、今のところ我が家にお届けいただいている年賀状の数は例年と比べてとってもとっても少ない。もしかすると喪中であることをSNSなどを通じて知り、気を遣っていただいたのかもしれませんが(暮れも近かったので喪中ハガキは出していないのです)、おそらくそうではありません。お届けいただいている年賀状のなかに「ことしで年賀状は卒業します」といった旨の宣言を記載されているものがチラホラ。ということからも察するに、きっと、多くの方が同じタイミングで年賀状をやめられたのでしょう。
かくいう我が家も「今回で最後にするかー?」といったようなことは、ここのところ毎年のように小さな話題として持ち上がっていましたのでアレなのですけれども、こうなってくるとこうなってきたで、なんだか寂しい気もしてきました。なんだかんだで、年始の挨拶にハガキを送るというのはすてきな文化ですから。
さて、どうしましょう。
・・・と、そんなことを書きつつも。
私たち家族全員が何かしらの原因で世間に嫌われるようなことをしたのではなかろうか。我が家のプライベート年賀状は、私が書いたちょっとした文章を添えてお届けしてきたのですが、ここでも割と長文のため、新年から鬱陶しかったのではなかろうか。
ほんとうは、そんな一抹の不安を拭い去るためのいい訳を書いているような気がしないでもありません。
もしも、ほんとうに、そうだったとしたら、どうしましょう。ナナナナナナナナー。どうしましょう。哀川翔。哀川翔、心配性。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です