第八話 部屋と盗み見師と私。〜その3〜

~前回までのあらすじ~

 園子さん、事件です。

 三回も続けて連載することになったこの話、あなたのホームグラウンドであるはずなのに、あなたのことが一行も出てきません。

 それはそれとして、前回は、盗み見師、ぬすみみし。言いにくいぜ! きききりん、というお話だったよ。今回はどんなことが起こるかな? お楽しみにね。(_)/

 

盗み見師め~。私の怒りが沸点に達するまで、あと数分も必要ではなかったはずだ。

 

 突如として電車は止まり、車窓はそれまでの闇一色から、ホームのきらびやかな灯りへと一転していた。彼女は何事もなかったように携帯電話を鞄にしまい、電車の中から駅の雑踏へとその姿を消したのである。・・・・・・よかった。本当によかった。これ以上、貴女の乙女が汚されるのは見たくない。そして、この数分に起こっていた出来事を貴女は知る必要などないのだ。知らなくていいことは、世の中に山というほどある。ただ、無事に素敵なメールは書けたのだろうか。絵文字は上手く活用できただろうか。今となっては、それだけが心配です。m(_ _)m

 

 そこで私は我に返る。目の前にできた空席と、その隣でつまらなさそうにする盗み見師に目をやる。どうやら彼の盗み見は不完全に終わったようだ。それと同時に、私の中にある言葉が浮かんでくる。

 

「制裁」

 

 盗み見師は駅に降りることなく、今まだ私の目の前にいる。そして、彼の隣に空いた1人分の座席。私がそこに座れば、彼に何らかの制裁を与えることができるのだ。自然と胸は高まり、脇下にじっとりとした汗が吹き出てくるのが分かる。これまでの行動を見ていれば、奴は私の何かも盗み見るに違いない。しかし、私はその手口を知っている。私はすでに「ふふふ~ん」を使うことのできないリズムを体得しているのだ。先程まで彼女に何度「今!ほら、今!」を繰り返したことか。・・・・・・さぁ、盗み見師よ、盗み見るが良い。盗み見るのは私の本か? いいだろう。今日の一冊は内田百聞だ! 仮に盗み見ることができたとして、貴様には百鬼園先生の奥深さなど到底分かるまい。

 ・・・・・・いや、待て。それでは盗み見師に制裁を与えることにはならない。彼の興味をそそらなければ、盗み見さえ行われない可能性がある。どうすればいい。答えは簡単だ。私も、メールを打とう。彼の興味を引くような、とびきり刺激的なメールを。

 

私は満を持して目の前の座席に座る。手に持っていた本を鞄にしまうと同時に携帯電話を取り出す。震える手をどうにか自制し、私はメールを打ちはじめた。

 

「件名:君に言わなければいけないことがあります」

 

 どうだ。これほど盗み見師の興味をひく件名もあるまい。今、彼は心の中で盗み見師になって以来の興奮を味わっていることだろう。しかし、私はまだその現場を押さえはしない。まだ、躍らせてやる。そして、貴様がミラーボールの煌くダンスフロアで躍り疲れたあと、私は制裁を加えるのだ。続きを書く。

 

「本文:本当であれば、メールなどではなく、直接、君に伝えるべきことなのかもしれない。あるいは、今はまだ伝えなくても良いことなのかもしれない。ただ、もう会えなくなるかもしれないから、やはり伝えることにします」

 

 盗み見師はこう思うだろう。「オイラの一番好きな、色恋沙汰。しかも別れ話じゃねえか、ヘッヘッへ」と。しかし、甘い。私は文言を続ける。

 

「実は今、私はある事件を追いかけているのです」

 

 この一文で、盗み見師の鼓動が早くなるのが手に取るように分かる。盗み見師は焦っているはずだ。「コイツ、もしかして刑事(デカ)か」と。この時点で、彼は、私が彼を盗み見師であることを知っているとは知らない。しかし、並みの盗み見師であれば、事態を恐れ、そこで盗み見は止めるだろう。ただし、彼は心の奥深くまで盗み見に支配された、本物の盗み見師だ。「この刑事が追っている事件の内容を知りたい」。そう思うに違いない。今、彼の中に次々と湧き出ている興奮が、私にも伝わってくる。

 そう、彼は気付いていないのだ。これが制裁の始まりであることを。

 

「私は今、電車に乗っています」

 

盗み見師:ゴクンッ

 

「そして、ホシもこの電車の中にいる。ホシは、私の存在にまだ気付いていないようです」

 

盗み見師:キョロキョロ

 

「まだ車内に人は多いけど、たった今から確保に移ります。もしかすると、このあと私は無事ではないかもしれない。ただ、今やらなければこれから多くの女性が傷付くことになってしまうのです」

 

盗み見師:ンガッンン

 

「最期に、君に伝えておきます。もう、終わりにしよう」

 

 盗み見師は、この一文で事態が飲み込めなくなったはずだ。やはり、別れ話なのか。いや、ホシと書かれていた以上、やはり事件はこの現場で起きているはずだ。そんなふうに。しかし、とても長かったよ、盗み見師。でも、これが最期だ。アデュ。さようなら。

そうして、私は続きとなる最期の文言を打ち、事態が明らかになった後、呆然となっているだろう盗み見師の顔を見る。私は思う。制裁などという言葉はもう使わない。金輪際、盗み見はしない。そう思いさえすれば良いと。

盗み見師と私の目がピタリと合う。終わった。私は胸の中の拳を高く突き上げ、上り詰めた山の頂に「正義」という名の旗をたなびかせ・・・・・・ん?

 

ん? 何だ、その顔は。何だ、盗み見師よ、なぜそんな「え~っ」みたいな顔をしている。どうして貴様の携帯電話を私から遠ざけるのだ。それは私がするべき行動だ。そして、「盗み見ないでよね~」という顔を私がするのだ。おいっ!どこへ行く。このままでは、まるで私が・・・・・・、おいっ! 盗み見師、カムバーック!

 

 終電間際の電車はどこかしら静かだ。こんなにも人がいるというのに、自分が今ひとりであるということを痛いほどに感じる。私は、最期に打ったメールの文言に目を落とす。

 

「君は、盗み見師だろう!」