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日々 「ボールペンなんですね」

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日々

花を 花瓶にさすことが多くなりました。 お嫁さんが花を いつもそうしてくれるからです。
わたしは実家にいる時も 結婚してからも そうすることが少なかったなあと思います。
花が 家の中にある生活は そんなわたしにもおよび 雑草の生い茂る庭に出て 花を探しますと
それが 名もないかわいい花から 今なら キンモクセイと 結構 あるんですねえ。そして ここら辺では道を歩いてても はさみさえもっていたら こすもすや菊が 道端に咲いていたりします。
信州に来て 何年もして こういうことに気がつきましたね。もったいない。

さて
村上春樹さんの「遠い太鼓」です。

 すぐに翌日から第二稿にとりかかる。ノートやらレターペーパーに書いた原稿を、あたまから全部あらためて書なおしていくのだ。四百時詰めにして九百枚ぶんの原稿をボールペンですっかり書きなおすというのは、自慢するわけではないけれど、体力がないととてもできない作業だ。第二稿が完成したのが三月二十六日だった。ボローニャのブックフェアまでに仕上げなくてはと思ってものすごく急いでやったので、最後の頃には右腕が痺れてほとんど動かなくなってしまった。僕はありがたいことに肩がこらない体質だから、肩の方は大丈夫なのだけれど、腕がやられた。だから暇があると床でせっせと腕立て伏せをやっていた。長編小説を書くというのは、世間一般の人が思っているよりはずっと激しい肉体労働なのである。今ではワードプロセッサー導入のおかげでずいぶん楽になったけれど。
 それからまた休む暇もなくその第二稿にもう一度細かい赤を入れる作業に移る。結局すっかり完成して、『ノルウエイの森』というタイトルがついたのは、ボローニャに行く二日前のことだった。
 この<ヴィラ・トレコリ>で小説を書いている期間、僕は小説以外には文章というものを一切書かなかった。手紙を書く気力もなかったし、日記さえろくに書けなかった。次の文章はその時期のことを、少しあとで、ある文芸誌に載せるために書いたものである。これはエッセイというよりは、むしろ独白に近いかもしれない。


ええっと村上さんはボールペンで原稿を書くんですね。鉛筆が何本も削ってあった人は あれはどなたでしたっけ?そうだ宇野千代さん。それもナイフで削ってある。
あの せんえつながら 
わたしですけど できれば6Bグらいのがいいんですけど(これはスケッチしていたときの習慣)シェーーファーの太字の万年筆(これは日記のときだったんですけど)
でもボールペンはいまごろずっとなんですが どうしてかといいますと インクが急に出なくなったり万年筆は気難しい所があるんですね。でも 味はあります たしかに。
ボールペンはするするすべって 上手に書けません わたしは。なんて自分思いな この長い説明。おそれいります

《 2021.09.25 Sat  _  読書の時間 》