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日々 「何よりも静けさを」

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日々

今日の朝のお月さんは きれいだったなあ。
「お月さんっていつもあんな風に出てるの?」と夫にききますと わらって 出てるよといいました。
「つきは東に陽は西に」っていうじゃない わたしは思い出すように言ってみるのですが さて
それは夜のはなしなのか こうして朝の話なのか。いまだに西と東がどこをさすのか 小学生のとき以来
よくわからないのですから。

さて
読書の秋
村上春樹さんの「遠い太鼓」です。

 しかしそういう素晴しい見晴らしや庭の趣に比べると、建物の方はそれほど立派とも言いがたかった。はっきり言ってかなりがたがきているし、その設備はいささかお粗末である。壁紙が色あせてところどころ剥がれていたり、エレベーターが肺病病みみたいにがたがたいったり、キッチンの換気扇が故障して動かなかったり、窓のたてつけが悪かったり、お湯が出たり出なかったり、床がみしみしと軋んだりする。もともとはまともな建物であっただろう。(あるいは風格さえあっただろう)ということは見ていて想像がつくのだが、今ではすべて落ちぶれて荒廃している。要するに、こういう古い屋敷をきちんと保持するために必要な補修がなされていないのである。話によればここはしょっちゅうマネージメントが代わっていて、そのせいで管理があまりよくないのだということであった。しかしまあ贅沢さえ言わなければ、まずまず人並みの生活を送ることは可能である。ここのヴィラの良いところ、それはなんといっても静かなことである。僕としてはこれはたいへん有り難かった。何はともあれやっと静かな環境で腰を据えて小説が書けるのだ。

こういう不便な所は 外国をちょっと旅行しただけでも トイレや 水回りにある。それで日本って 便利なところだなあと思う。でも 子どもの頃育った実家は このかったるさを持っていた。 ただし都会に出て気がつくのだけど。 学生時代に過した 東京での寮生活の便利さを経験すると(おなじ学生同士のにぎやかさは静かでは決してなかった) 自分はなんて不便な所に住んでいたんだろうと思う。でも風呂たきやこたつのすみおこしがすむと とてもほっとして こたつにもぐりこむといいなあと思ったことも。
今思うことでは 家人に病人が出ると えんえんと続く愚痴などに耳を傾けるのは そして雑草の中をゆっくりながめるのも これはあの頃の不便さにかたを並べた 時間の流れだと。そっと物音を立てずにいると おとがでるものって 現代は けっこうあるなあと思う。もしかして あの頃はその数が少なかったんじゃないだろうかと。
何はともあれ静かな環境で腰を据えて小説が書ける 村上さんのその選択は なぜかなつかしい。

《 2021.09.23 Thu  _  読書の時間 》