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日々 「ひしひしと感じられること」

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日々

「ねむりひっかけ」 「ねつきのかみさま」 など グッズを売り出す想像をしてみます。
寝つきの悪い自分が そういうのをつくっても 説得力がありません。
しかし それが売れに売れて。
ところが それで寝つきがよくなることはなく うったえられるはめに。
というわけで
このはなしは ぽしゃるのでした。
上の絵 どうです?本の木の階段をのぼり 一冊一冊 見ていくにつれて
「ねむれよいこよ〜」という本にあたる これはどう?

さて
村上春樹さんの「遠い太鼓」いきますね

 冬の終わりから春の始めにかけてのローマの風景はとても印象的なものだった。ローマの街はまるで子供がむずがっているように、体にまとわりついた冬をふりはらおうとしていた。それはほかのどんな季節のローマの風景とも違っていた。不思議な形をした雲が空をすごい勢いで流されていったり、丘の麓を蛇行して流れるテヴェレ河がふと奇妙な色に輝いたりした。僕は窓に向けて机を置いて、仕事に疲れると、そんな光景をぼんやりと眺めた。僕自身の体も、文章を紡ぎだすべく、ローマの街と同じようにむずかっていたのだ。その季節はよく雨が降った。ときどき雹まで降った(おかげでヴェランダに並べていたバジリコの鉢植えが全滅した)。雨が上がると、一昔前のスペクタクル映画みたいな感じに雲がダイナミックにちぎれ、そこからいかにもローマらしい強烈な太陽が待ち兼ねたように顔を出して、街を黄金色に染めた。春がすぐそこまで近づいていることがひしひしと感じられるのはそういう時だった。

冬の終わりから春の始めにかけてのローマの風景はとても印象的なものだった。ローマの街はまるで子供がむずがっているかのように、体にまとわりついた冬をふりはらおうとしていた。それはほかのどんな季節のローマの風景とも違っていた。
どんな感じなんだろうと思いますよね。 そこにしばらく住んでみないとわからない(それは自国にいてもそういうことはあるんだろうけれども)ほかの国に住むということは ただ観光で通り過ぎることとは違うんだろうなと。今の自分には旅など 思いつきもしませんが こうして読んでいると 少しそういう旅に触れたような気がします。村上さんは 旅をして そこでジョギングをして それは同じ国でじっとしていることより なにかあると身を持って感じているんだなあと。そこを我々にも感じさせてくれるところが この「遠い太鼓」かなあと。作家はまた書く事が仕事だから ありますね。
《 2021.09.22 Wed  _  読書の時間 》