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日々「とうとうさとれなかったから」

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日々

まえにもいいましたよねえ。としとったら だれも自分のことを ほっといてくれて ゆっくりすきなことをやっていられるんだろうなあ と。ところがどっこい としとってからもよわった心臓をさらにちじめてくれるようなできごとは やはりやってきます。自分の前以ての想像など あてにならないものですねえ。

さて
今日は「さとりをひらくと・・・」トール先生の本でしたね。

 災難がふりかかってきた時、または、途方もなく「まずいこと」が起こった時、その出来事には、別の側面があることに、気づきましょう。出来事は、病気、体が不自由になる、家、財産、社会的地位を失う、親しい人との別離、愛する人の苦しみや死、自分の死期が迫っている、などさまざまです。そんな時には、悲嘆にくれるのではなく、比類なきほど素晴しいことの、ほんの一歩手前にもいるということに、気づくべきです。なぜなら、痛みと苦しみという「卑金属」を、「金」に変える、錬金術的な変化を起こす、一歩手前にいるからです。その一歩は、「手放すこと」と呼ばれているステップです。
 こういった状況にある人が、幸福であるだろう、とはもちろん言いません。おそらく幸福ではないでしょう。しかし、「手放すこと」をすれば、恐れと痛みは、内奥にある「大いなる存在」からわき上がる「心の平安」に変わるのです。これが、「人智の及ばない神の平和」です。これに比べれば、幸福などは、とても薄っぺらなものです。
「心の平安」は、内面の深いレベルで感じられるものであり、思考のレベルでとらえるものではありません。この境地にある時、「わたしを破壊することはできない。わたしは不滅だ」と知ります。これは信じる、信じないという概念ではなく、証明する必要のない確固たる真実なのです。

そうなんですね。痛みと苦しみという「卑金属」を、「金」に変える、錬金術的な変化を起こす、一歩手前にいる。 「手放すこと」で。逆さ読みみたいですね。とりあえずこれはおしまい。
《 2021.09.16 Thu  _  読書の時間 》