日々
目のまわりにある物をゆっくり見ていく
それもひとつのものをゆっくりというのではなく ほかのものも同じように
自分は しかし「このことは ものが多いからたいへんやわ」と
それとか 虫の鳴き声とか ききながらはどうなのかしらとか 考えます
いったい何の話?
そうしていくと 心が落着くという話なんですけど
さて
トールせんせいの「さとりをひらくと・・・」ですよ
「手放すこと」は直接的には、「すでにそうであるもの」を変容しません。「手放すこと」で、わたしたち自身が変わるのです。わたしたちが変わる時、私たちの住む世界も、すべて変わります。くりかえしになりますが、世界は意識の投影にすぎないからです。
鏡を見て、そこに映るものが気に入らないと言って、腹を立て、鏡を攻撃する。これが「手放すこと」の境地にいない人がしていること、そのものです。しかも映像を攻撃すると、映像の方も、反撃してきます。映像がどんなものであれ、ありのままに受けいれ、友好的になるなら、映像のほうも、私達に対して友好的にならずにはいられません。これが世界を変えるコツなのです。
病気は問題ではりません。エゴ的思考が、人生をコントロールしているかぎり、「自分自身」が、問題なのです。病気を抱えていても、体が不自由でも、自分に落ち度があるのではないか、と感じたり、罪悪寒を持ったりしてはなりません。このような態度は、すべて一種の抵抗です。
もしも重病を抱えているなら、さとりをひらくために、それを利用しましょう。人生で起こる「悪いこと」をすべて、さとりをひらくために、活用するのです。「いまに在る」ことで、病気から時間の疑念を、とり去るのです。病気に過去や未来を与えてはなりません。強烈に「いま、この瞬間」に在る状態へと、自分を追いつめるために使うのです。それから、どんな変化が起こるか、見守りましょう。
*
「手放すこと」でわたしたち自身が変わるのです。わたしたちが変わる時、私たちの住む世界も、すべて変わります。
この本は大きく書き過ぎなような気がしますが この本を読むのだからそう思ってみようと思います。
で
自分は 大事にしまい込んだりしていたものを 「手放そう」としています。これも すこしわたしに何か変化がやってきていることなのかもしれませんね。もうすぐバナナムーンギャラリーで個展だし やってみようかな。