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日々 「わいわいいっしょに走るイタリア人」

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日々

どうしょうと わたしは自他ともにゆさぶられています。
で 「呼吸の本」谷川俊太郎 加藤俊朗 フォレス出版やら 「奇蹟講座」中央アート出版などを
毎日 少しずつ読んでみているわけなんです。
これらの本は 何を書いてあるか理解しようと はりきると ちょっとうまくいきません。
目の前の文字を しっかり読んでみることから わたしの場合はじまります。どっか文字を追うのがずれていたり 心配事で読めないなどと 自分はいま 目の前のこと 「今」に集中できていないんだなと 気がつきます。
それで後悔してもはじまらないので ほかのことをしばらくして 夕方とかに 今度はねころんだりして 読んでみます。それでおわりにします 明日もあることですから。同じページは翌日 読むことはありません。こういうことをやっていると 不思議と心が落着いて来るらしいのですが まだ。

さて
今日は村上春樹さんでしたよね「遠い太鼓」

 イタリアのジョガーの 第二の特徴は一人で走っている人が極端に少ないということだ。大抵何人かでつるんで走っている。一人で何かやるというのが苦手なのか、淋しがりやの多い国民性なのか、あるいは喋れないのがつらいのか、僕には判断できないが、はじめのうちはこれが不思議でしょうがなかった。ランニングは孤独なスポーツだーと気取るつもりはないし、べつにみんなと一緒に走ったって全然問題はないわけだけど、しかしいかんせん一人で走っている人の数が少なすぎる。よその国ではだいたい八割くらいまでが単身ランナーで残りの二割が団体・複数ランナーという感じだが、この国ではその比率が完全に逆転している。みんなでにこにこ・わいわいとおシャベリしながら、なかなか楽しそうに走っている。一人が近くの茂みに入って立ち小便しているあいいだ、ほかのみんなは足踏みしながらじっとその小便が終わるのを待っている。まあ他人のことだからなんとも言えないし、楽しきゃいいだろうと言われればそれまでだけど、しかし小便まで待つことはなかろうと思う。それじゃあ子供とおなじじゃないか。アメリカ人なら待たないだろう。ドイツ人なら走っている時に小便なんかしないだろう。おなじランニング・ジョギングといっても国によってずいぶん趣が違う。イタリア人の走るのを見ているとこの国の人は戦争したってまず勝てっこないよな、とつくづく思う。


よその国のお国柄は そこにはいってしばらく住んでみないとわからないもんですね。女子高生がぞろぞろトイレに入っていく日本、このことは年取ってからも変わらないだろうなと思います。ほかの話になってしまいましたが どうしてかと聞かれるとどう答えるかなあ などと。
《 2021.09.06 Mon  _  読書の時間 》