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日々 「いま どうなのかと」

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日々

わたしは時にものをたくさんあつめてしまったことに おどろき なんとかしなきゃとあせってしまいます。夏は この天気の悪さも含めて かたずけようとします。
そして一晩寝て あせらずにゆっくりやろうと思い直します。

さて 今日はトール先生の「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」でしたね。

病気はさとりのチャンス

問い 重病人が素直に病気を受け入れ、病気に抵抗するのをやめたら、健康回復をあきらめることを意味しませんか?闘病の意思は、そこには存在しませんよね?

答え 「手放すこと」は、無条件で、「すでにそうであるもの」を受けいれることです。
受け入れるのは、「いま、この瞬間」の自分の人生です。「人生の状況」と呼んでいるものではありません。ふたつの違いについては、すでに述べました。
病気を意味するところを、お話ししましょう。病気も「人生の状況」の一部なのです。「人生の状況」であるからには、過去と未来に関連しています。「いまに在る」ことによって、「いまのパワー」が発揮されないかぎり、過去と未来は、一本につながった時間軸をつくります。もうみなさんご存知のとおり、「人生の状況」を構成する、さまざまな出来事の根底には、真実の「なにか」が存在します。それは、かたちや時間を超えた「いま」にある、「大いなる存在」です。

「いま」には、なんの問題も存在できないように、病気も存在できません。自分の症状に、誰かが貼つける
レッテルを信じる気持が、その状況にパワーを与え、その症状を維持させているのです。すると、一時的なバランスの崩れは、あたかも確固とした事実であるかのようになってしまいます。症状を確立してしまうだけでなく、症状に時間を与えてしまうことにもなるのです。
「いま、この瞬間」に意識を集中させ、症状にレッテルを貼るのをやめれば、「病気」と名づけられるものは「身体的痛み」、「虚弱」、「不便さ」(または「障害」)のうちの、いずれかの症状に絞られるはずです。その症状が、あなたが「いま」抵抗するのを、やめるべきものです。これは「病気」をあきらめる、という意味ではありません。苦しみを、「いま、この瞬間」へと自分を追いつめ、強烈に「在る」状態に導くための、原動力とするのです。さとさとりをひらくために、活用するのです。


苦しみを、「いま、この瞬間」へと自分を追いつめ,強烈に「在る」状態に導くための、原動力とするのです。

そうですか。
病気の意味するところを、お話しましょう。病気も「人生の状況」の一部なのです。「人生の状況」であるからには、過去と未来に関連しています。「いまに在る」ことによって、「いまのパワー」が発揮されないかぎり、過去と未来は、一本につながった時間軸をつくります。もうみなさんご存知のとおり、「人生に状況」を構成する、さまざまな出来事の根底には、真実の「なにか」が存在します。それはかたちや時間を超えた「いま」にある、「大いなる存在」です。

よく読んでみないと わたしなど このことが理解できません。数回読んでみると 少しわかるようになるのです。いま必要なことがいま起こり それは大いなる存在によって もたらされているってことなんですかね。お客さんはどうですか
《 2021.09.05 Sun  _  読書の時間 》