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日々 「たのしいぜ」

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日々

自分はときに どうしてこんなに緊張した人間なのに ゆるゆるの表現をしてるんだろうと おもうことがあります。直方体の箱に入って すいすいくるくる 自由に泳いでいるような。
これとは関係なく
きのうはめずらしく 長野市にある倉庫ギャラリーFLAT FILE SLASHというところに 夫に連れられて行ってきました。(いつも外に出るときはしぶしぶなのです)
そこで北山享さんが個展をしているからです。どんな個展風景だったかと言いますと まず前行った時より
整頓されていて そこから この個展らしいのでした。かといって ただそうじしているんではなく ものが いいぐあいのところに 配置されていて 頭に混乱を来さないようです。
そこでわたしはあとずさりするのです。こいぬと大人の犬の中間ぐらいの 犬が 古いテーブルの上にいるのです。くさりはついていませんそばによってみろただじゃあおかないぞ」 「こっちからとびついてもいいんだぞ」という 犬らしい態度で にらみをきかしているのです。ここはどこかあけっぱなしで ぶっそうといえばそんなギャラリーなんですが だから この犬なんだなと なるべく犬にあいてされないようにちらっとよこむいて ギャラルーに入るわたしでした。犬と言うのは けっこうそばにくるまでほえないで そばにきたとたん おおさわぎしてかみつこうとするのがいるのです。敵意がこちらにないのをみせるには おしりをみせて 真正面から近づかないそうです。なんどかそういうことをしたことがあります。
室内に入ります。
「たのしいぜ」とせなかにかいてるような 北山さんが映像で絵を描いています。 折りたたみ式アートでは おりめのついた画面は 広げると でかくなるんですが ほんのちいさな四角形におりたためます。  自分がやるとそんなふうにできるのかなあ。 その対比は ここにあったのか でかいのと小さいの。
ここからが 記憶力問題なんだけど ええっと次の 墨絵にいたるまでの 作品が思い出せない。そこに目に入ってきたのが 制作現場にある絵の道具など。床の上です。壁と床
 これも整頓されている。もう一度絵を見ると そのひとつひとつをひっぱりだしてこれる。これは実は乱雑に見えて ひとつひとつぱかっとはがされるくらい。 いっぱいかかれているにもかかわらず。自分はいつもその一つ一つの個性におどろき ひっぱりだしてきて 話しかけてみたいと思うんだけど。
かとおもえば ぐちゃぐちゃを何度も繰り返している。このぐじゃぐじゃも熱心にぐじゃぐじゃしている。
この共同生活は なかよしだろうか それとも 
などと これは帰ってから ゆっくりかんがえているところ。
そうでもしないと あついのによわい(さむいのもよわい)自分は 子供のように帰りたいと言うからです。そこら中を整理して そのばしょをアートしてしまった。これは北山さんの遺伝子によるもので 深い。なんちゃって

話は変わって
今日は 「さとりをひらくと・・」でしたねトールさん(北山さんとは関係ありません)
問い 職場で不愉快な問題があるので、「手放すこと」をしようと試みましたが、とてもできそうにありません。抵抗の気持が、とめどもなく、わき上がってくるのです。

答え 「手放すこと」ができないなら、すぐになんらかの行動を起こしなさい。その状況を変えるために、はっきりと意見を述べるか、なにか手を打つのです。美しく、輝いている、あなたの「大いなる存在」を、そして地球を、ネガティブ性で汚染させないでください。自分の内面の「すみか」に、どんなかたちの不幸も、与えてはなりません。
 仮に、現在事情があって、何の行動もとれない状況にあるなら、その人にはふたつの選択技があります。抵抗することか、手放すことです。しがみついているか、外的状況から心が解放されていること。苦しみか、心の平安、どちらを選びますか?


抵抗することは、手放すことです。
手放すこと これはほかに逃げることとはちがうわけですか?
自分の内面の「すみか」に、どんな形の不幸も、与えてはなりません ここでなにやら いやな予感がするのでしたが 

《 2021.08.26 Thu  _  読書の時間 》