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日々 「思考のエネルギーと魂のエネルギー」

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日々

今日はゆうひのようなあさひでした と こんなこといってて あさひとゆうひが おなじようなことだって あるんかなあと 北アルプスの山はあさひと同じように一面 あかるい ただ あさひにはまるいおひさまがある で 向かい側の北アルプスのところにはおひさまがない 
などとごちゃごちゃいいながら うでをまわしたり ぶらんぶらんしたり。

さて今日は 「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」エックハルト・トールさんでしたね。
楽しいと楽になる 同じ漢字であっても 
さて 本番
「手放すこと」をするまでは、「魂の世界」は、なにかで読んだり、話題にしたり、わくわくしたり、本に書いたり、思惟をめぐらしたり、信じたりする対象にとどまります。場合によっては、それすらしないかもしれません。「手放すこと」をして、「大いなる存在が」が自分にとって、まぎれもない現実になるまでは、そういったことをする、しないは大した違いではありません。
『手放すこと」をした人は、「目に見える世界」を動かしている思考エネルギーよりも、はるかに高い波動のエネルギーを発するようになります。するとこのエネルギーが、その人の人生を動かしはじめるのです。現在のわたしたちの文明、社会、政治経済システムをつくりだしたのは、思考エネルギーであり、これはいまでも、教育やメディアをつうじて生きつづけています。
『手放すこと」をすると、今度は純粋な意識である、魂のエネルギーが、この世界にそそがれるようになります。魂のエネルギーは、自分にも、この地球上のどんな生命体にも、苦しみを与えません。思考のエネルギーと違って、地球を汚染しません。また、悪のない善は存在できないという、両極性法則にも左右されていません。今も人類の大半を占める、思考のエネルギーに動かされている人たちは、魂のエネルギーの存在に、気づいていません。彼らにとって、魂のエネルギーは、別の次元に属しているからです。


思考のエネルギーと魂のエネルギー、わからんなあ まだ あっ ねむくなってきた わかろうとして わからんとねむくなるんです。ということは「手放すこと」をしていないわたしなんやな。「魂のエネルギー」がふってきていないということ。
《 2021.08.20 Fri  _  読書の時間 》