日々
お茶碗を洗っている時 いまこのときに目を向けようと思いました。
「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」ここでもやってみようと。
いくら本で読んでいても 実際そういう場面に出会わないと 私はわからないのです。それも簡単なことで。で いつもの洗いものとどうちがうのかといいますと おちゃわんとそれを洗っている指先を見ているのです。そして意識しているのです いまこのお茶碗を洗っている と。
なにからなにまで そう意識することはなかったのですが 前とどう違うかというよりどこか新鮮だったのです。ほんのちょっとのことなのに。
さて
問い もちろんわたしは、意識して不幸でいられますよ。
答え あなたは自分で「不幸な気持ち」を選びますか?もし選ばないとしたら、それはなぜ、わき上がってきたのでしょう?どんな目的があるんでしょう?誰がそれを生かし続けているのでしょう?あなたは意識して不幸でいられる、と信じているようですが、それは、果たしてほんとうでしょうか?
実際のところはこうでしょう。あなたは「不幸なわたし」を、自分のアイデンティティにし、強迫的な思考を燃料として、その気持ちを持続させているのです。そしてこの一連の行動は、すべて無意識的です。あなたが意識しているなら、つまり、「いまに在る」なら、ネガティブ性は、ほとんど一瞬にして消えてしまうでしょう。「いまに在る」人の中では、ネガティブ性は生き延びることができないからです。ネガティブ生が生き延びられるのは、本人が「いまに在ない」時だけです。あなたは、不幸に時間を与える事で、不幸を生かしておいているのです。時間こそが、不幸の「生命源」です。強烈に「いま」に在ると、時間はとりのぞかれ、不幸な気持も消えてしまいます。
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なるほど こういうことは経験したことがあります。過去を振り返っても これから先のことを考えても
そのころは絶望感と不安でいっぱいなのでした。ところがそのとき 絵を描いていて そのことには何の不安もないのです。そういう状態がその時で そのことだけなら(絵を描いている時) と 意識したんでしょうね。その頃はだから恋愛がうまくいかないということと 絵を描くこととふたつがあって 恋愛はほんとうにうまくいかないのに 絵の方は成長し続けている これはなんだろうなと。 恋愛のことだけが 自分は困難で 絶望的で先が見えない不安 それで自分のすべてを否定するのは哀しいと悪っていました。
こういうときに こういうことを理解してたら どうだったんでしょうね。