日々
あめ 再開
加減したり いいぐあいにしたりする 能力って こんなときないのですねえ えらいすすんでいるところはどこで いっこうにどうすることもなかなかできないことは このほかに どんなところなんでしょうね。いま思ったんですけど むずかしいなあと考え始めると なんだか眠たくなるんですねえ。
5時過ぎに 目を覚ましておき出してきた 私ですが こうして眠たくなったんだから ねむってきますね。
はいちょっとねました。
話は変わりますが そういえば 夫はこういうことをいいましたね。夫は絵ができるたびに 台所のテーブルのところの所定の壁の位置に その絵をかけて「どうや」と言います。私は正直な話 自分の絵程関心がありません だけど 感想をいいます ほんのちょっとですが。それにくらべて 息子やおよめさんは なかなか 深いことを言います。夫は自分が描いたのに「ふむ」とそういった感想に感心します。自分でもわけのわからないような絵だからです。なんていうんでしたっけ こんな絵を 抽象画 現代アート まだあったような気がするなあ。「この絵 まえのほうが すっきりしてて よかったような気がするんだけど」
そういうと 夫は 「その時は普通で 2回目はこんなふう。当分はこれでいいの」 と言うのです。
そうかと 「当分はこれでいいの」ということはそのうち かえるかもしれないということも あるかもしれませんよね。大人も子供のようなことを言うんだなあと。
*
さて「やがて哀しき外国語」村上春樹著 講談社 ですよ。夫とも言ってたんですけど 村上さんの旅の話はおもしろいよなあ なんですよね。
アメリカ版・団塊の世代
先日ペンシルバニアに住んでいるシンシア・ロスさんという人から、夕食に来ないかと招待の手紙をいただいた。その手紙によると、シンシアさんは実はスコット・フィッツジェラルドの孫にあたるということである。スコットとゼルダのあいだに生まれた唯一の子供であるスコッティー・フュィッツジェラルドの、そのまた娘さんである(スコッティーは何年か前に亡くなっている)。彼女は僕がスコット・フィッツジェラルドの小説の翻訳をしていることを人づてに聞いて、興味を持ってわざわざ招待してくれたのだ。英訳されたあなたの二冊の小説も大変に面白く読ませていただいた、いささか遠方ではあるがお越しいただければ大変に嬉しい、週末に泊り掛けでゆっくりと遊びにいらしてください、とある。
ここまできて ちょっと大変だなと このエッセイには。スコッティー・フィッツジェラルドというややこしそうな名前が出て来るからです。「やがて哀しき外国語」じゃないですけど 外国語のカタカナの名前や地名は 多い程 大変だなあと思ってしまいます。
というわけで たったこれだけ?そうなんです。 このちびちび読書は ですよね。しかし シンシア・ロスさんは言いましたね 「週末に泊り掛けでゆっくり遊びにいらしてください」なんか外国だなあと