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日々 「物事に抵抗するのは思考のさが」

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日々

きのう 「手放すこと」って、どういうこと? たしかここを読みはじめようとしていましたね。
とりあえずいってみますね。
エックハルト・トール著「さとりをひらくと 人生はシンプルで楽になる」

第1節 「いま」を受けいれよう

問い 「手放すこと」、「執着を棄てること」について力説していらっしゃいますが、はっきり言わせてもらうと、運命論社のようで、私は賛成できません。「なにもかも、ありのままに受けいれる」ということは、「向上のための努力をしない」ということでしょう?個人的なことでも、社会的なことでも、現在のレベルを限界だと決めつけないで、そうしてこなかったら、わたしたちは、いまだにほら穴に住んでいたはずです。「手放すこと」と、「より良くするための変革と行動」は、どうすれば両立できるんでしょうか?

答え ある人たちにとっては、「手放すこと」は、試練に対する「敗北」、「あきらめ」、「挫折」、「無気力」などを意味し、消極的な態度に聞こえるかもしれません。しかし、ほんとうの「手放すこと」は、まったく別のものです。なにもせずに、受け身の姿勢で、自分がおかれた状況に耐えることではないのです。計画を立て、積極的に行動を起こすことを、放棄するわけでもありません。

「手放すこと」は、人生の流れに逆らうよりは、それに身を任せるという、シンプルでありながらとても奥の深い「知恵」なのです。人生の流れを実感できる場所は、「いま、この瞬間」しかありません。「手放すこと」は、「いま、この瞬間」を、何の不安も抱かずに、無条件に受けいれることです。「すでにそうであるもの」に対する心の抵抗を、棄て去ることです。
 心の抵抗とは、思考の気めつけやネガティブな感情によって、「すでにそうであるもの」を拒絶することです。物事が思いどおりにいかない時、「こうでなければならない」という自分の要求や期待と,」事実とのあいだにギャップがある時、この傾向は特に顕著になります。これが「痛みをこしらえるギャップ」です。長年生きていれば、「思いどおりにならないこと」にちょくちょく出くわすことは、もうご存知でしょう。痛みや悲しみをこしらえたくなかったら、そういう時こそ、「手放すこと」を実践するのです。「すでにそうであるもの」を受けいれたとたん、思考から解放され、「大いなる存在」につながることができます。物事に抵抗するのは、思考のさがなのです。

著者の言葉はしばらく続きます。「受けいれること」と「手放すこと」「物事にていこうするのは思考のさが」
自分はまだ内容がしっかり頭に入って来ませんが わかれば 効くんだろうな。



《 2021.08.07 Sat  _  1ぺーじ 》