日々 「ずれてるよ」
自分がかって若者であった時 生意気で そのくせ気弱だった
子供たちもそんな時期にいる
日頃は そんな子供に文句の一つでも言おうとしているくせに
こう
「ただ、一生懸命さは はや私は負けてしまったと思うし 人の話を聞こうとするところは
偉いとさえ思う」「ところが 大人になり下がった私は どこかが高くなったと思っているのか
こどもたちをみおろして偉そうに言ってしまっている」
「いや 他人が私と同じ事をすれば 文句の一つも言ってやりたくなる まちかまえてね」
で
その相手が来たら
「子供らがいろいろお世話になっています」などと
なんなんだ やっぱり弱気じゃないか
こんなときに 文句を言える能力をやしなってこれなかったことを 後悔してもはじまらない
大人が 見識をひろめたといっても この世界の見識は 一生で知りつくせるようなもんかい?
うたがわしいもんだ
いそいでるしね
母としての見識はどうなんだ?堂々と しっかりしたことを 言ってみたいものだ
このたよりない 母親が
*
はなしは ごろっとかわりますが
最近 気がついたことの中で(もういいましたかね) 「もうすこしうまくかけるはずだ」と
沢山のスケッチや 絵具で色をつけた絵を見ていて思うことがあるんです。
で
それまでは がっかりするだけだったんですが ちかごろ「こういう下手な絵があるから つぎにこの絵に工夫が加えられるんやん」と。そうすると希望がわいて来るんです
どうしてかといいますと 自分は更に新しい絵をちょっと目ざしては 力なく新しいアイデアがわいて来にくくなっているなと思っていたんです。
で
それなら クレーやそんな人の絵の摸写でもしたら たのしいかもしれないぞと 考えたんです。
それまでは人のまねなんかしてはいけないとだったんですけど 摸写って 色彩の勉強になりそうだし
第一 自分は摸写をしていても 横道にそれたり その通りにはなかなか描けないのです。そうなると摸写なんかではなくなります。などと
こういう思いつきはすぐに実行します
それから 自分の下手な絵を もうちょっとましにもっていく。それと前の絵より小さく描く。なぜなら
根気がさらになくなっているから 小さい方が楽なんじゃないかと。
その絵達は こっちからあっちに ひもをかけて せんたくばさみで(木でできた ちょっとでもおしゃれに)ならべて よく出来つつあるか調べる。これも思いついて 実行です。