who am ?I

PAGE TOP

  • 06
  • 26

日々 朗読をお願いした

スキャン4874.jpeg

日々 朗読をおねがいした

私は 日記を書きながら そこに新聞の切り抜きをはさんだり イラストを入れたり 写真をはったりと いろんなことをしていた。内容もなかなかいいと自分では思っている(笑い)。
きのうテレビのドキュメンタリーで見たんだけど。
外国の老人たちが ものを残し続けて来た。服であったり 置物であったり 本であったり それぞれに思い出の詰まった本人にとっては貴重なものである。
しかし 足腰が弱り それらの物を片づける気も起きないし ま こまった娘や息子たち 夫達なのだ。
それをじかんをかけて 反発にあいながらも 手放させていくのだ
私はまさにその手放せない老人の一人だと そのドキュメンタリーを見手思った。
「それは思い出なんだよ みんな消えてしまうということなんだよ」
最初のうち 老人たちはがっかりした表情でむすめたちの話に耳をかそうともしなかった
時間はかかった。その家を売り出すにしても ものやかぐがあるのとないのとでは うりやすさがちがうらしい。不動産屋も言う。
しかし きっかけはくる。足の自由が利かなくなったり 仲好くしていた友達とも やがてはわいわいとにぎやかに話したりできる日も少なくなるだろう
家族で住んでいた広いうちから一人暮らしに適した家を探さなくてはならない。その決心はまわりのそうした実際的な働きかけや 家の売買になる。

わたしは せっせせっせと日記をだしてきては 昔のわたしに返事を書いていた。それはとても充実したことだった。そんなときにこのドキュメンタリーは 不意に背中を叩かれたようだった。
なぜか こういう番組が 最近おおいように感じるのは 自分がその範疇にいるということだからかもしれないけど。
その日私は考えた。 あの人達ののこされたものよりも 自分のものは さらに値うちがないものだと考えざるを得なかった
この日記が誰かの役に立つのだろうか?ほんとうにおもしろいのだろうか? 
それで その日は 日記をまいにち返事を書くついでに 朗読してみようかなと思い始めた。つまり 人の役に立つのは大変だから 自分の役に立つことをしようとね
むかし 私は勝手にヂスクジョッキーみたいなことをして日記をよんでみたり 話しかけてみたりしていた。ひとりでやるのだから 気楽な遊びだった。

今バナナムーン(ギャラリー)で7人の女性による「プッチンセブン」をやっている。自分は7人のうちの一人だ。
そこに2人の友達が来てくれた
ちょうど持って来ていたスケッチブックの日記をこの2人に朗読してほしいと持ちかけた。 私の絵の前で。
というのも この二人は 朗読が上手で 詩も書く。
いつもはぐずぐずする私だけど すぐに実行した。
あのときのドキュメンタリーは この百冊にはなろうかという日記ファイルを
なんとかして 終わりにしなきゃと思ったからだ。
彼女達はすぐいいよと言ってくれた
「プリティ」と「このときにあう言葉」
よかった

《 2021.06.26 Sat  _  日記(日々) 》