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「プリティ」日々より

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日々

さて きょうから なにをしようかな
このように たよりないわたしですが 
ひたすらやり続けていることがあったんだな と思い直すのです
いっぱい書いてためこんだ 「日々」に返事を書くことです
今日の 年月日を書き入れて 10年たっていたら それに驚き 
「もう こんなにたったのか」などと書き入れるだけの時もあります
A4の用紙に日記を書いているわけなので 10年前の文が長ければ 書き入れるすきまは 少なくなります。あ 「プリティ」はスケッチブックに書いていました。初めの家はこのスケッチブックでしたね 5段の本棚いっぱいになるくらい このスケッチブックの日記は続きました。フイルムの写真の時代で 写真を取りまくっていたので まずは写真を貼り付けました。そのあとから日記を片方に書きました。
かなりあいている日もあります
空き地で 73歳の自分が 遊んでいるようなものです
さて
1996年 「プリティ」という題で書いています
私は昭和24年生まれである
「そのころねえ、ひざやかかとのあかを取るプリティというのがあったのをおぼえてる?」
だれにたずねるわけでもなく 話しかけている。
私は東京の大学に行かせてもらった。もちろん東大じゃないです。その大学には寮がありました
地方から出て来た学生は しばらくそこに入るのです 勿論卒業するまでいてもかまわないのですが。 
寮は規則とかいろいろありますね。で 大学の近くで アパートとか下宿をさがして きままな学生生活を送りたいという人達が でるわけです。
私は 4年間のうち3年間はその寮にいました
彼氏もいないし そこでも十分気楽だったからです。 このことはその後 就職してもその年月の大半は
同じところで住んだということで 私はそういうところがあるのです。
さて
そのプリティのはなしにもどらなきゃ
大学はキリスト系の(ミッションっていうのかな)大学で朝ごはんのときにも たとえみそ汁となっとうがでても「天にまします我等の神よ ...アーメン」という。
それがあてられると立って言わなきゃならなかった。それが田舎から出て来た私にはドキドキもんだった。
文字に書いて あたったときには言えるようにした こういうことだって いまだにそういう者だと思う私というのは。
日記は 昔の私にあえるというばかりではなく いっこうに変らない自分に驚くものでもある なんちゃってね
さてさて こんどこそ
プリティの話にもどらなきゃ
若い子は この大学にあって オシャレの話は一番勢いがあったように思う
お風呂は共同 タオルを頭に巻いた彼女等は湯船につかっている間より ひざをそのプリティでみがいているあいだのほうが長かった(言い過ぎかな)
ほこりひとつ あかひとつついていないひざやひじ 「まあ なんてキレイな足」とおせじぬきで思った。
もう すごいのがプリティなのかプリティがすごいのか(同じやん)
私は そのプリティを持っていなかった。これをやれば自分のひざやひじからどれだけのあかが プリティ様のおかげで でてくるのか おそろしいくらい
私は 46のとしになっても あのプリティとあかの関係には驚く。
少し疑り深くなっている私は思うんだけど あれはあかじゃなかったのかもしれないと。
プリティがチューブから出て来るときに あかに似たものに変化するようにできている何かがあるのかもと。
こんど 若い子の店に行って探してみよう プリティを

 私はこのスケッチブックの左ページに 写真を貼ることにしているので 写真を箱の中から数枚取った。かって撮った写真がこの箱の中にあるのだ。
左の写真と右の文章は何の脈絡もない。ところが 久しぶりに取り上げた写真は 大学時代の「寮に続く道(友達が裏にそう書いている)」と「大学ののチャペル」だった。
ややと私は驚き そのともだちに電話しなきゃと思った。
そして その空き地に なんて書こうかと考えているところです。
《 2021.06.24 Thu  _  わたしでいいですか 》