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『現代に生きる サマセット・モーム』

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『現代に生きる サマセット・モーム』 清水明著 音羽書房鶴見書店

「....(女)は小っぽけな心の持ち主だもんで、自分にわからない抽象的なものは、一切嫌悪する。感覚的なものばかりに心を奪われて、観念、理想と言えば、端から憎んでかかる。男の魂というものは、この宇宙のどんなかぎりない涯まででも天翔って行く。それをやつらは、なんとかして家計簿の中に閉じ込めて
しまおうというのだ.。.....」(ストリックランド)

「女というもの」ストリックランドはこういうふうに見ているんですね。そんなもんなんだっけ?私はあらためて考えてみるわけなんですけど どこか笑ってしまいませんか?確かに女は目先のことを考えてはいますけど(私))

では 理想的な女はと言うと アタのような女なんですね。(私)
「わたしが女から求めているものだけは、ちゃんとあの女はやってくれるんだな。...](ストリックランド)
アタは情熱を欠いていても、献身的に終始愛情にみちた態度で画家に接する。
ではヨーロッパの女性は その反対をいっているのかと言うと(私) 
その世界を描く場合に陥りがちな常套的表現になっているという印象派否めない。(清水明さん)
現代では そういうことをいうと 女性に怒られるとこまでいっているかも(私)
ストリックランドの「やみくも」の女性観には批判があり得るだろう(清水)
十九世紀的西洋近代の世界観が物語に反映されているということであれば、それはまた時代の誓約ということで理解できる(清水)
この時代に比べて 現代はどのくらい変っているのだろう。少なくても表面上は変っていると思うんだけど どういう状態になっているのか 気をつけて見てみようと 打ちながら思ったんですけど

しかしここに気を取られていると 『月と六ペンス』は楽しめなくなるかも。自分はとにかく読んでみようと読んだんですが とてもひきこまれて 自分のこととも考え合わせることもできたし 「道徳と運命」
なんて言葉が頭に出て来たり 病気は予測できない形でやって来るとおびえたり それはリアルだったのです。あんまりにもむきだしで しかし主人公は 実は大概は黙っている。だから 想像力を読者にゆだねていたりして ゆだねられると想像したりして 興味深いのでした。なんやかんや言ったって生前のストリックランドは売れない画家だったのです。売れていたら あんなにがむしゃらに 絵の主題に向って行ったかなあとか 想像は続くのです。





《 2021.06.21 Mon  _  読書の時間 》