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『現代に生きる サマセット・モーム』

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『現代に生きる サマセット・モーム』清水明著

(エイミーストリックランド夫人は 夫の出奔後、子供を親戚に預けながら自活しなければならなくなる。ここでの
 現実は 親戚の家といえば姉のうちその夫は軍人。しっかりした家庭というのだろうが ここでの影響は子供たちにとっては大きかっただろうなと 自分は思ったりする。子供らが大人になり男の子は軍人になり 女の子は軍人のところに嫁に行き 母親としても心配するようなことはないでしょうね)。

(ストリックランドのその後は 自分の考える創作に突き進んで行く。そこではまず妻子をきりすて パリで貧窮に苦しんでいたときに助けてくれたダーク・ストルーヴ夫妻 このそこぬけけに善人であり絵と才能の識別にかけては一流の腕をもち、妻を愛していた。その妻はストリックランドのもとに走るのです)

(ここでの清水明さんの説明は わかりやすいです。 こうして書いてもらうとこの本にどういうことが書かれているのか 忘れてしまっている自分には)(映画の解説でも そうですね。 長い映画を わかりやすく短くまとめるのは さすがだと思うことがよくあります)

(さて この出来事でもいっときのことで きりすててにげていく。彼女の自殺という大きな出来事にも拘らず ストリックランドの動揺は 書かれていない。あきらかに彼女の肖像であるストリックランドによる絵がのこされていた。それは御主人のダークにとってもつらい話。画家は 女の絵をのこす。ピカソなんかも。描いている間はいいけれども 他の女に移っていくと 書かれた側はとてもつらい作品となるのではないでしょうか)

「俺は恋愛なんかまっぴらだ。そんな時間はない。要するにあんなものは弱さだ。そりゃ俺だって男さ、だから、ときどき女が欲しくなる。だが、一度肉欲が充たされてしまえば、俺はもうすぐと、他のことを考えている。俺は、自分の肉欲に勝てない人間なんだ。だが、肉欲を憎んでいる。肉欲というやつは俺の精神を押し込めてしまうんだ。あらゆる情欲から自由になった自分、そして何の妨げもなく、いっさいをあげて仕事に没頭できる日の自分、俺は、どんなにその日を待ち望んでいることか。女というやつは、恋愛をする以外なに一つ能がない。だからこそ、やつらは、恋愛というものを、途方もない高見に祭り上げてしまう。
まるで人生のすべてでもあるかのようなことを言いやがる。事実は、なに鼻くそほどのい一部分にしかすぎないのだ。肉欲というものは、俺も知っている。正常で、健康なものなんだ。だが恋愛というのは、あれは病気さ。女というやつは、俺の快楽の道具にしきゃすぎないんだ。それが、やれ協力者だの、半身だの、人生の伴侶だの言い出すから、俺は我慢ができないんだ」


(ずいぶんなお言葉ですこと そういいたくなりますが このストリックランドの言動の中には こういうシーンんが一度ならず出て来たように思います。タヒチでの女に対する見方。アタだって 黙って従い 子供を育て 彼を放っといて自由にしたからよかったようなものの。一昔前までは こういうことがあたり前のようにあったんですね。今はどうなんでしょう。根底にはあったとしても 法律で ある程度規制されるようになっていますね)

こういう重要ななポイントでも 解説という骨組みを読ませてもらって やっと自分の感想を言うことができますね


《 2021.06.20 Sun  _  読書の時間 》