『現代に生きる サマセット・モーム』清水明著 音羽書房鶴見書店
これは、突然の家出をし、狂気に取り憑かれた男の怖ろしい程の一途な気持を直感した女の激しい憎しみを、適格に生々しくあらわしたセリフといえる。おそらくエイミーの生涯にとって初めて心の底から出た叫びのセリフであり、それまでの淑女としての彼女しか知らぬ我々の度肝を一瞬抜く。文学とか芸術をサロンの一形態とみなして、表面上のお上品な交遊と知人や著名人のゴシップにうつつを抜かす平穏な生活が初めて破られた時、激しい言葉が思わず口をついて出たのである。個々で夫人は、サロン風の借り物の芸術ではない、真実の何者かに触れ得たのであろう。エイミー・ストリックランドという、この小説の中での狂言回し的な人物に前期の発言をさせたことは、この女性が一時的にしろ、モームの考える真実に近づいたことになる。
つまり「色恋沙汰」や「恋愛」というのは決して長続きせず、儚いものである、ということが作者モームの恋愛観であったのだろう。たとえば、名作として知られる「赤毛」は、そうしたモームの恋愛観が物語構造の中で最もよく凝縮された短編といえる。モームはこの作品の中心人物の独りニールスンに、恋の悲劇は死でも別れでもなく、相手への関心を失うことである。とまでいわせているのだ。
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モームさんの「恋の悲劇」は死でも別れでもなく 相手への関心を失うことである そういっているのですね。どっちにしても おちこむことですよね。「色恋沙汰」や「恋愛」というのは決して長続きせず、儚いものである。ざっくりとモームさんは言い切っています。自分たちの恋愛観 女性のこうしたことへの見方 いろいろ出てきそうですが。いつの時代でも起る出来事ー『現代に生きる サマセット・モーム』ですよね。