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モームさん

スキャン4851.jpeg『月と六ペンス』

足の小指と薬指がぴくぴくして 困ってるんだという話を聞いたとき それは困ったねえととりあえず答えたんですが 翌日私は思い出したことがあるんです。
それはこういうことでした、ある日ぼーっとしていますと 右手の指だったと思いますが ぴくぴく動き始めたのです。それをじーっと観ていますと 何かを感じるのでした。そのなにかということですが
「ううっつらい」そんなふうなんです。私達は顔の中のパーツ、たとえば目であるとか口はしゃべったり 語ったりするのがうまいですが そのほかのパーツはそういうことをめったにしないでしょう?
だけど手はどうです? ものをはこんだり 文字を書いたり 背中をかいたり そのほかいろんな仕事をやっています。そんなゆびは 「よく働いてくれるねえ」なんて私はいたわることもありません。
何か言いたいこともあるのかもしれません。そんな時 わなわなとふるえだして なんだかその指達がいとしいようで 自分の一部なのに別人を見ているような気がしたのでした。
足の小指は更に他人のことなので なんともいえませんが。
私が腸の中のなにものかに語りかけるのも こういう経験があるせいなのかもしれませんね。

話は変わりますが 数日前 おなかがとってもおおきい ありが目には行ったんです。これは女王ありかもしれないとそれもシロアリかもしれないと まようことなくやっつけてしまいました。その翌日 今度は又そのような黒いありを見つけました。これはしろありのおすかもしれないとと やっぱりやっつけてしまいました。それでも こういうことをやるとどこかで いたむのです。しかし一番驚くのは 一匹は夕方にもう一匹は昼間 自分の目についたということです。 私はそういうものを探し歩いているわけでもなく みつけてしまったという偶然に。 家が食い荒らされないようにという言い訳をしながら やっつけたのでした。残酷です。


「みんなあなたをつれていくんじゃないでしょうね?」アタが叫んだ。
その頃、ここらの島では厳格な隔離のきまりがなかったから、癩病患者は行きたければ勝手にどこへでも行けた。
「おれは山へこもる」とストリックランドが言った。
するとアタは立ち上ってストリックランドと面と向った。
「他の人達は行きたければ行かせてもいいけど、私はあなたの傍を離れません。あなたは私の夫、私はあなたの妻です。もしあなたが私を棄てるなら、家の後にある木で首をつります。神かけて誓います」
アタの口調には何か底知れぬ力強さがこもっていた。アタはもはや人の言いなりになるやさしい土人娘ではなかった。意志の強固な女だった。驚くほど人が変った。
「おれと一緒にいることはないじゃないか?お前はパペーテに戻ればいい。すぐ別の白人の男が見つかるだろう。ばあさんがお前の子の世話をするだろうし、チアレ葉お前が帰ればよろこんで迎えるだろう」
「あなたは私の夫、私はあなたの妻です。あなたの行くところへ私も行きます」
さしも堅牢なストリックランドの心も一瞬ぐらついた。そして両目に涙が一滴たまり、両頬を伝って静かに流れた。やがて彼はいつもの皮肉な微笑を浮かべた。
「女って奴は風変りな小動物ですな」とクトラ医師に言った。
「犬ころ同様の扱いをしても、腕が痛くなるほど叩いても、なお奴らは愛してくれる」彼は肩をすくめた。「勿論、奴等に魂があるなんてのは、キリスト教の最も馬鹿げた錯覚の一つですよ」
「お医者様に何を話していらっしゃるの?」アタが気がかりそうに訊いた。「あなたはいってしまうんじゃないでしょうね?」
「お前が望むんならおれはここに止まるよ」
アタはストリックランドの前に膝まずき、両腕で彼の脚を抱きしめると、脚に口づけした。ストリックランドはかすかな微笑を浮かべてクトラ医師を見た。
「結局女共につかまってしまう。つかまったが最後、男は骨ぬきです。白人だろうと土人だろうと、女はみな同じですな」
(時代の違いとはいえ 土人と言ったり 土人には魂がないだとか そういうふうに思っている人達がいたんですね)(「犬ころ同様の扱いをしても、腕が痛くなるほど叩いても、なお奴らは愛してくれる」複雑な言葉ですね)

クトラ医師は私に話しかけた。
「私はあの男が嫌いだった。さっきも言った通りあの男は私に好意的じゃなかったから。しかしタラヴァオへゆっくりくだって行く間、私はあの克己(こつき)の精神にいやでも頭が下らないではいられませんでした。あの勇気があればこそ人間の最も怖ろしい不幸にも耐えられるのでしょうな。タネと別れる時(つきそいの少年)、私はタネに効きめがあるかもしれないからクスリを送る、と言い置きましたが、ストリックランドがそのくすりを飲むのを承知する望みは薄いと思いました。いやそれよりも、例え飲んだところで、よくなる望みは更に薄かった。使いをよこしてくれたら何時でも往診してやるとアタへ伝えさせました。人生はきびしいものです。自然の女神は時々生みの子である人間をさいなむことに残虐な快楽覚えるものだ。

長い間、私達は誰一人口をきかなかった。
「しかしアタは使いをよこさなかった」医師は遂に話を続けた。「わたしのほうもたまたま島のそちら側へ行く機会が長い間なかった。ストリックランドの噂はまるで聞かなかった。一、二度アタが絵具を買いにパペーテにやって来たという噂を耳にしたが、アタに行き会うこともなかった。私がタラヴァオに行ったのはそれから二年以上もたっていました。その時も例の老女酋長の往診のためでした。その家の人達に、何かストリックランドの噂を聞いていないかとたずねました。もうこの頃には、あの男が癩病にかかっていることは誰もが知っていました。まず少年のタネがあの家を立ち去り、次に、それから間もなく、老婆とその孫娘が立ち去った。ストリックランドとアタはその子供達とともに後に取り残されました。誰も彼等の果樹園の近くには寄りません。御承知のように土人達はあの病気にはひどくおびえていますからね、昔は癩病患者とわかると殺されたくらいです。しかし時々村の子供達が小高い山々をあちこちとよじ上っているうちに、長い赤髭の白人がぶらついている姿を見かけたことがある。彼等はおぞけをふるって逃げ去ります。アタは夜中に村へ下りて来て商人をたたき起し、ぜひ入用な色々な品物をうってもらうこともありました。アタは土人達がストリックランドを見る目と同じく恐怖のまじった嫌悪の目で自分を見ているのを知っていたから、彼らに会わないようにしていたのです。ある時、女共が勇を鼓していつもより果樹園に近づいて見ると、アタが小川で着物を洗っていた。そこで女共はアタに石を投げた。その後、商人はアタにこう言い伝えるように命ぜられました、つまり、アタが二度とあの小川を使うなら、人々が出向いてあたの家を焼いてしまうぞ、と」
「人でなしめ」と私が言った。
「いやいや、あなた、人間なんていつもそんなもんですよ。恐怖のあまり残忍になるんです。私はストリックランドを往診しようと決心しました。女酋長診察がすむと、私は男の子に道案内を頼みました。だが誰もわたしといっしょに行きたがらない。仕方なく私は独りで径を探さなくてはならなかった」
クトラ医師は果樹園に着いてみると、何となく心が落着かなくなった。さんざ歩いた末なので暑いはずなのに、身震いした。あたりの雰囲気には何か敵意がこもっているようで、医師はためらった。見えざる軍隊が医師の行手をさえぎって要るような感じを覚えた。見えざる手が医師を後に引戻そうとしているようだった。今ではココ椰子の実を取りに近づく者もいないから、地に落ちて腐り放題だった。どこもかしこも荒れ果てていた。灌木がはびこり、あれほど苦労して原始林から分捕ったこの一片の土地を、もう間もなく原始林が再び取り戻しそうな気配だった。医師はこここそ苦痛郷であるという感を覚えた。家に近づくと、この世のものとも思われない静寂に打たれた。最初は誰も居なくなってしまったのかと思った。その時アタの姿が見えた。台所に使っている差しかけ小屋で、尻を落して坐るりながら、鍋の中で煮ている料理を見守っていた。そのそばで小さな男の子がもくもくと泥んこの中で遊んでいた。アタは医師を見た時、微笑しなかった。
「ストリックランドを診に来た」と医師が言った。
「伝えて来ます」
アタは家の方へ行き、ヴェランダへ続く数段を上ると、中へ入った。クトラ医師はアタに従った。しかしアタが身振りで命じた通りに外で待っていた。アタが戸を空けた時、胸の悪くなるような甘い臭気が鼻をついた。これは癩病患者の近くにいると胸が悪くなる独特の臭気である。

(癩病というのは今は治療ができるとか うつらないですが 当時は誰もが怖れる病気だったんですね。ストリックランドは これにかかってしまった。人間というのが ここでは その日を境に孤独で居られることさえも 自分で選ぶことができないところに追いやってしまわれる。身にしみます。しかしストリックランドは本当に強い、クトラ医師は感じ入りました。こういうところにいて はじめて 彼が強いことがわかるのですね。アタの覚悟にも彼は涙します。どの時代にあっても。次の言葉が自分には続かないのは彼等のようなはっきりしたものを もてていないからです。
「人でなしめ」と私が言った。
「いやいや、あなた、人間なんていつもそんなもんですよ。恐怖のあまり残忍になるんです」

《 2021.06.03 Thu  _  読書の時間 》