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ゴーギャンの年譜

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ゴーギャンの年譜

1891年
4月4日 タヒチへ出発
6月8日 タヒチへ到着
(2か月もかかるんや)
夏、首都パペーテから45km離れたマタイエアに住む。

1892年
44歳 この歳マタイエアで過ごし、制作に励む
2−3月『マオリの古代信仰』を執筆(執筆することも やっている)
6月12日、本国帰還を申請する
(約一年で 本国に帰ることを申請したのは どうしてかな 資金調達のためかも)

1893年
45歳 『アリーヌのためのノート』執筆
(娘アリーヌは16才になっている。家を出ていたというものの 子供らのことを忘れたわけではなさそうだ)6月タヒチを離れる(帰国申請をしてから一年じゃない?けっこうかかるね)
8月3日 マルセイユ到着
11月、パリヂュランーリュエル画廊にてゴーギャンのタヒチ作品の個展を開催
『ノア・ノア』草稿執筆
(タヒチ作品はあまり売れなかった。がっかりだね)

1894年
46歳 2月ブリュッセル、ブリュージュ、アントワープを訪れる
(何か行っておきたい所だったんだろうか)
4月 新しい愛人(ジャワ女アンナ)とそのペットの猿タオアを伴い、ポン=タヴェンに戻る。
(ちょっと本国から気持が離れそうだな。ポン=タヴェンに戻ってしまう)
5月25日 コンカルノーで水夫達との言い争いに巻き込まれ、右足首を砕かれる。アンナはパリのアトリエから金目の物を盗み、失踪。(だまされたな)(タヒチでも注意されてたよね 悪いのもいっぱいいるからねと)
11月パリに戻る。シャルル・モリスがゴーギャンのために カフェ・デ・ヴァリエテにて晩餐会を催す
(再度挑戦 南洋の島に。パリでの芸術家達も ゴーギャンのことを応援してるんだな
小説ではいかにもゴーギャンは偏屈もので友達も少ないと書かれているけれども どうだったのかな)

1895年
47歳
2月8日 ドゥルオ間にてゴーギャンの油絵47点の売立て。ドガが2点購入。成功とは言えない。
(ほんとだね 旅費になるかな)
7月3日 マルセイユを発ちタヒチに向かう
9月9日パペーテ到着。プナアウイアに土地を借り、家を建てさせる
まだ家を建てるお金があったんや。小説を読んでいると そんな風には感じられない。ずっと貧乏暮らしにえがかれてはいない?)

1896年
48歳 新しい愛人パウラ(14歳)を持つ 7月湿疹にかかり入院
(うまくいったようだけど この人物がアタならばね)

1897年
49歳 1月18日 ゴーギャンの娘アリーヌの死。ゴーギャンは4月になって初めてその方を受ける
(ショックだったろうな。20ぐらいか)
4月 油絵の大作<我々はどこからきたか、我々は何者か、我々はどこに行くのか>を制作し始める
砒素の毒を飲み自殺未遂
(つらい年だね)

1898年
50歳 5月 パペーテの公共土木事業局で働く
12月パリのアンブロワーズ・ヴォラール(1865−1939)がゴーギャンの作品に感心を示し始める
(えっ!やったあ有名な画商だね)(生きているうちはだめだったんじゃないの?)

1899年
51歳 パペーテの事業局の仕事を辞め、パウラとともにプナアウイアに戻る
(仕事より田舎で自由に暮しながら絵を描きたかったのかな。ヴォラールのことはわかっていたのかな)
4月19日息子のエミール誕生(ここでも子供が生まれたんだよねパウラとのあいだに。彼女もココで子供と夫と自然を相手に暮したかったんだろうな。仕事を世話した人は すぐ仕事をやめてしまうと小説では言ってたけど)
6月パペーテの風刺誌『レ・ゲープ(雀蜂)』に寄稿する
8月21日 ゴーギャンの個人新聞『ル・スリール(微笑)』の第一号を発刊
(こういうことを 続けていたんや)

1900年
52歳 『レ・ゲープ』誌の主筆となる
4月 『ル・スリール』紙の終刊号を出す

1901年
53歳
2−3月 パペーテの病院に三度入院
(小説では癩病となっているけれども そして彼は慰謝嫌いで ひどくなるまで医者に診せなかったようなことが書かれているけれども)
夏 ゴーギャンはプナアウイアのわずかな持ち物を売却
9月10日 タヒチを発ち マルケサス諸島のヒヴァ=オア島に向かう
9月16日 ヒヴァ=オア島アトゥオナに上陸
9−10月 <逸楽の家>を建てさせ、自分で装飾を施す
11月18日 愛人マリー=ローズ・ヴァエオホと内縁関係を結ぶ
(えっ!三度も入院したのに 愛人マリー?小説では男の子を2人うんだアタが最後まで献身的にそばにいてめんどうを見たという話なんだけど)

1902年
54歳 9月14日マリーが娘画マヒアチカオマタを出産
9月『メリキュール・ド・フランス』誌掲載予定の<へぼ絵描きの無駄話>をパリの批評家アンドレ・フォンテーヌに送るが掲載されず
(そうなんや おもしろそうなのにね)

1903年
55歳
1月7日 ゴーギャン家がサイクロンにみまわれ浸水
(こんなことがあったんや)
『アヴァン・エ・アプレ』脱稿
3月27日 憲兵への名誉毀損を訴えられ裁判官オルヴィルの前に出頭
3月31日 3カ月の禁固と500フランの罰金を宣告される
5月8日 心臓発作のため死去
5月9日ヒヴァ=オアのカソリック系の墓地に埋葬される
(小説と大分違うなあ)

*つまり小説なんや がっかりしたかって?『月と六ペンス』という小説にのっかると 興味深かったし
いい小説だったと思います。お客さんはどうでしたか?読みはじめるときは 主人公ストリックランドが
実はあの画家のゴーギャンだということで 魅かれて読み進み 読み終わると『現代に生きる サマセット・ホーム』清水明著がきっかけとなって 年譜まで詳しく読んでみる私でした。
さて
 


《 2021.06.15 Tue  _  読書の時間 》