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現代に生きるサマセット・モーム

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『現代に生きる サマセット・モーム』 清水明著

我々はどこからきたか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか 1897
1893年3月31日ゴーギャンはパリを発ち,4月1日,いよいよタヒチに向けて出航した とあります。(日本でのゴーギャン展のカタログより)

*さて 
作者の『月と六ペンス』における主眼は、『人間の絆』の結末部にみられるような世俗的価値を一歳否定して、「月」を求めてそれに辿り着こうとした一画家の謎を探究する方向へと移っているようでもある。

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ストリックランドの「女性観」

 しかし『月と六ペンス』は、芸術、理想、狂気に取り憑かれて、月並みの人間には届かぬものを手に入れようとした天才賛美の物語にすぎないものであろうか。六ペンス的なるものに対する天才の勝利を語った寓話なのであろうか。第一、これは小説として首尾一貫した構成をもつ作品といえるだろうか、また主人公の積極的な生き方が具体的に描かれている小説と片づけて良いのだろうか。小説を読み終えても、われわれは主人公ストリックランドをエゴイズムの化け物とか、一種の影の存在としか捉え得ない。この小説の語り手が作品に登場する主人公の知人であり、何よりもこの人物の職業が作家であることを、当時新婚生活を送っている筈のモーム自身と結びつけて、皮肉な様相を我々は思い浮かべてしまう。
 さらに、この語り手の「私」がパリで、ストリックランドによってその絵を何枚も見せられても、タヒチの森のあばら家の壁一面に画かれた大作を彼の最後をみとった医師から語り手にその燃え切った絵の内容を詳しく説かれても、われわれはついにパリとタヒチで描かれた主人公の絵についての具体的イメージを実感できないのである。ある意味では、このような無理な状況設定と人物設定とが重なった小説も珍しい。


このような無理な状況設定と人物設定とが重なった小説も珍しい。
そうなんですね 私は途中からゴーギャン(小説ではストリックランド)の画集で 彼の年譜とか を見て行きますと この小説と画集の彼の履歴では 受け取るイメージが離れているとは感じていました。それは ゴーギャンも突き進むだけの人生じゃなく 家族に対する思いとか罪悪寒とか なんにもないとはいえないだろうと思いましたから
このカタログにこういうことが載っています。

1888年、このゴーギャンの芸術についてさまざまな意味で重要な年はまた、一家の長としての、父親としてのゴーギャンの無能ぶりが決定的にあきらかになった年でもある。ゴーギャンはもう、いかにも予告的なことに、一個の野蛮な"インディアン"として居直るしか道は残されていなかったのである。

ここは私には特別な人間としての彼ではなく「そうだったろうな」と思わせます。父親としての無能ぶりのために居直るしかなかったは いったん家族の下を飛び出したのだから 自分は決心したんだからという意味合いを自分は感じていたのです それには「無能ぶり」を取らないと(笑い)。
彼が夫人や子供達のもとを飛び出す時 これは小説の中にありますが 夫人や子供達が自分が離れてもどうにかやっていけるとふむ時があります。それに40代と言えばいい年です もうこの時を逃したら後がないというようなことも 言っていますね。この見定めはしっかりしていると思いますし なるほどなあと感心したところでした。
そして,出て行くときは 後は野となれ山とな と考えてはいなかったと。経済的にやっていけるとなるまでは と そして家族を呼び寄せられるようになったら そうしようと考えていたと思いますが おかしいですかね。ところは絵は思うようには売れなかった。次はタヒチでとなって。食うや食わずの生活 どうしょうもまかった 元の家族のことは。ここらへんでは 家族のことはもう忘れようとなったかも。
夫人がその後 それまでの人間関係をちゃんと使って しっかり生きていったのは 納得して 自分にはできるかなと考えるのでした。
ゴーギャンの発言(小説での)を読む時 自分は 彼を特別な人間離れした人物としてみると同時にひとりの人間として 一般的な見方をしていたことに気づきました。これは今となってはよかったと思います。
この小説にもところどころ 普通のストリックランドが出て来るのです。
この清水明さんの本の中で 考えたことです。


《 2021.06.12 Sat  _  読書の時間 》