who am ?I

PAGE TOP

  • 05
  • 25

モームさん

スキャン4842.jpeg『月と六ペンス』

孫がね 指差す方向を 何を見つけたんだろうと あの白い花かなとか小鳥の声かなとさがしていたんです。
そしたら この子はがっかりしたように 「どーしてわからないかなあ」というのです。
ふっと 山の上の方に目をやると 白い透明なお月さんが見えたんです。「ああ すごいねえ」と私達。
4歳のこどもをはさんで おとなたちが 感心したのでした。


ニコルズ船長の言うところによれば、ストリックランドは私が書いた通りの言葉を使わなかったそうだが、だいたいこの本は家族的な読み物のつもりで書いているのだから、真実を犠牲にしても、家庭内で言いならわせられた表現をストリックランドに使わせた方がいいと思った次第である。
(この書き方、モームさん おもしろいね)

さてやはりここの様子は文字で絵を見るように描いてあります。一緒に歩いてみましょう。

ある夜、ニコルズ船長とストリックランドはブトリ通りのあるバーに腰かけていた。ブトリ通りは一階建ての家が建ち並んだ狭い通りで、どのうちも一部屋しかない。恰も混雑した縁日の露店か、サーカスの動物の檻のようだ。どの戸口にも女がいる。ある者は傍の柱にでれっとよりかかり、鼻唄をならしたり、嗄れ声で通行人に呼びかけたりしている。ある者は物憂化げに本を読んでいる。フランス女もいれば、イタリア女、スペイン女、日本の女、黒人の女もいる。肥っているものもあれば、やせているものもある。顔にこってりと塗った白粉や、眉に厚く塗った墨や、真赤な口紅の下に、年齢の皺や放蕩生活の傷跡が見える。シュミーズに肉色の靴下をはいた者、ちぢれっ毛を黄色く染め、小娘のようにちんちくりんのモスリンの服を着た者。開けっ放しの戸のむこうに赤いタイルばりの床、大きな木のベッド、松材のテーブルの上には水さしと洗面器が見える。色とりどりの群衆が通りをぶらついているー東洋航路の船から下りて来たインド人水夫、スエーデンの帆船からの金髪のスカンジナヴィア人、軍艦からの日本人、イギリスの水夫、スペイン人、フランスの巡洋艦から下りて来た陽気な水夫達、アメリカの不定期貨物船から下船したニグロ達。昼間は単なる不潔な通りだが、夜になると小さな小部屋のランプだけで照らし出されるので、不吉な美しさを持つ。辺り一面にたち込めた物すさまじい色欲は重苦しく、怖ろしいほどだが、人の心につきまとい、心をかき乱す光景には、どこか神秘的なものがある。得体の知れない原始的な力に人は反発を感じつつも惹きつけられる。ここでは文明のあらゆる礼儀作法が一掃され、人間は陰鬱な現実と直面しているのだ。強烈であると同時に悲劇的な雰囲気が立ち込めている。
(ここから後はお客さんが歩いてみて下さいね)
でタフ・ビルがこのまえの仕返しに つよそうなのをつれてストリックランドとニコルズ船長のいるバーにやってきますね。そこからたいへんな乱闘騒ぎです。警官がやってくるまで ストリックランドは腕から血を流しニコルズ船長も顔から。 タフ。ビルはぶったおれていた)
(「こんな愉快だったことはない」ストリックランドはこうですからね)
やがてオーストラリア向けの船で火夫として乗り込み ストリックランドはニコルズ船長と別れて それが彼を見た最後だったというわけだった。
この話は 本当なのかどうかわからないという。

*私は ストリックランドの(ゴーギャンだとして)画集を見たり読んだりしている。 作品については当然のことながら詳しく描いてあるけれども生活ぶりなどは殆ど書いてない。どこか『月と六ペンス』と重なるところがないかと探してみるけど 全くと言っていいほどない。
画家で言えば ピカソのことは画集でも 近親者が書いたものでも 彼の実生活を見ることができる。時代も違うし ピカソにはそういったことを書く相手が何人かいたということなんだろうけれども。

ストリックランドは残して来た妻や子供のことは読んだことはある。それ以外のことでもこの小説ではいろいろある。
そこで これは小説なんだとあらためて思い返さなければならないというわけです。


《 2021.05.25 Tue  _  読書の時間 》