
『月と六ペンス』
きのうは 3階の屋根裏部屋で 頭をしこたま打ち付けて 痛かったです。このとき 自分が思っているより案外前向きなところがあるなあと 思いました。というのもうっすら出たこぶをさすりながら これでしょぼしょぼの目が よくなるかもしれんと。きのうはそればかりではありませんでした。私は化粧水やクリームを乱雑においているんですが 目を潤す水などもそろえているのです。そのつもりで 目に吹きかけたところ しゃーっという刺激が走って 「ひゃー、なんじゃこりゃ」ということになって走って洗面所に行き顔中を洗ったのでした。で かえってその瓶を確かめてみますと「ハッカ湯」と書いています。 ま このときもしばらくして ぼんやりとした目が はっきりしてきたように思えたのです。
「今日はいいことが続くぞー」と 前向きな自分をまた。いえね このごろ私は前向きな者とは言えないような気がしてたんです。きょうですか? そうですねえ ハッカ湯のしゃーっはきえましたがいくらかはっきりしています 人間ときには しげきをあたえてやらんといけんのですね。
*
タフ・ビルのところで下宿人をしながら タフ・ビルのアメリカ女(でぶでぶの)の肖像画をストリックランドが描いたときには カンバス、絵具、筆の代を払ったのみか密輸入タバコ一ポンド迄添えてもらう。今なら千五百ポンドには売れるだろう。ま そういうわけで青々とした海にかこまれ、緑で覆われた日当りのよい島に取りつかれていたストリックランドは そっちの方面にくわしいニコルズ船長とタヒチ島に行くことに。もっと安楽に暮らせるだろうとニコルズ船長は説得した。
(ヨーロッパは寒いんだろうな,青空があこがれなんや そういう陰鬱な天こうのところをぬけだしたい気持ち)
(つまりは 豊富な果物 さかな 働かなくても生きていけると 考えたこともある 私も)
ところが証明書迄タフ・ビルに用意してもらったのにそのタヒチ行きの船になかなかめぐりあえない、でしたよね。その上タフ・ビルににもほっぽり出され空腹とタバコなしの窮乏に陥るわけでした。が、ニコルズ船長とストリックランドは水夫部屋にうまく入り込んだりして 危険な目にもあいながら このニコルズ船長がなかなか面白いのです。こんな生活で ストリックランドはどのようだったか「私」はニコルズ船長に
聞いてみた。
「乱暴な口を利くなんてことは一度もありませんでしたな」
「時にはちょいと不機嫌なときもあるにはあったが、朝から何も食べていないとか、ちゃんころの家で寝るだけの金もないなんて時には、奴さんこおろぎのように陽気でしたよ」
(こおろぎはあれで 陽気にないているのか しらんかった)
それを聞いて私はべつに意外とは思わなかった。ストリックランドは、たいていの人なら落胆してしまうような環境に置かれても超然としていられる。
(正にそういう男なのか)しかしそれは心が落着いているせいか、或はあまのじゃくなせいか,判断するのはなかなかむずかしい。
『ちゃんころの首』というのは波止場の浮浪人がブトリ通りはずれのみすぼらしい宿に奉っ名で、片目の支那人が経営している。ここでは六スーあれば簡易ベッドの上に、三スーあれば床の上に眠れる。この宿で彼等は自分たちと同様のどん底生活者と顔見知りになる。そうして一文なしで、夜の寒さがきびしい時などは、その日のうちに偶然一フランもうけた雑役から、屋根の下で寝るための代金を喜んで借り受ける。こういう浮浪者達は決してけちではない。金のある者は,さっさと仲間とそれを分かちあう。彼等は世界中のありとあらゆる国籍を持つ人間のより集まりだが、そんなことは友情のさまたげとはならない。何故なら彼等は辺境地方に彼等全部を包含している一国家、つまり『蓬萊国』の自由市民であると自負しているからだ。
「しかしストリックランドってのは、腹を立てると始末におえん奴ですな」
「ある日私達は広場でタフ・ビルと出くわした。するとタフ。ビルの奴、チャーリーにくれてやった証明書を返せとぬかしやがる。「欲しいならとってみろ」とチャーリーが言った。タフ・ビルときたら力の強い奴でさ、だがチャーリーの顔つきがどうも気に入らなかったらしい。で、チャーリーを罵倒しはじめた。殆ど思いつく限りの罵倒の文句を浴せましたよ。タフ・ビルが罵倒しはじめると、なかなかの聞物ですぜ。ところがチャーリーは、ほんのちょっとの間、こらえていたが、そのうち前へ進み出ると、ただ一言こう言った、「出てうせろ、この豚野郎め!」とね。これはチャーリーの言った通りの文句じゃないが,まあざっとこんな按配な言い方でさ。タフ・ビルはそれっきり口をつぐんだ、顔が黄色くなってゆくのがわかった。
それから、まるで約束があったのをふと思い出したとでもいうように、行っちまいやした」
(なぐりあいじゃなくて 言葉で 相手をどうにかするって すごいね)(めじからかな)
(また殆ど書き写しています、全部が興味深い 今でもあると思われる姿ですね。同じような境遇の人達が助け合っている、けちじゃないところなど)