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モームさん

スキャン4843.jpeg『月と六ペンス』角川書店 昭和33年初版

ゴーギャンのことを殆ど読んでいないと きのうは言いましたが、それは記憶違いで 祖母にいたるまで
詳しく書いてある本が家のどこかにあったのです。何故そんなことを思い出したのかと言いますと 自分のファイルの中に『ゴーギャン』というぺーじがあって そこに母親とその母の写真がある雑誌を写したものがあったのでした。しかしその説明は小さくて読めないし、祖母がペルーかどこかの部族の高貴な人の末裔であるとか 確か書いてあったはずなんです。彼も生まれて一年ほどしてペルーにつれていかれたことがあるとかで。彼はこのヨーロッパとペルーの2つの血が流れているとかで それが彼の性格に影響しているとか。どういうところがその影響なのか かんじんなところは記憶にないのですが いままで読んだ中で彼はかなり変わってるように書かれていますね。ゲームに負けると かえって陽気になるとか タフ・ビルとの激しい乱闘にも 面白いというところなど。なんなんでしょうね。末裔の血とはどういう影響を彼に与えているんでしょうね。


私はこの本のむすびをここにしようと思っていた。(きのうのところ)
はじめの案では、タヒチ島におけるストリックランドの晩年の記述と彼の怖ろしい死を以て書き始め、それから溯って、彼の前身について私の知っていることを述べようというつもりだった。そういう順序で書こうと思ったのは、べつにつむじ曲がりからではなく、ストリックランドが孤独な魂にどのような夢を抱いていたかは知る由もないが、彼の想像力をかき立てた未知の島々へと出帆する場面で終わらせたかったからだ。四十七といえば、大概の男なら既に一つの型にはまり込んでのうのうと納まり返っている年頃だが、その年齢で新世界へと旅立ったストリックランドの姿が私は好きだった
(かって妻や子供達のことを 彼は話していたことを思い出す。こどもたちもここまで育ててやったんだから そろそろ自分ででやっていってもいいだろう、妻もまわりにも親戚も居るしなんとかやっていくだろうと)(そのとき私はそうかもしれないなと。そして「年齢的にも いましかないんだ」と 飛び出したことを話していたよね。彼にはそういうところが 確かにあった)

寒い北西風にさらされて、灰色の、そして点々と白く泡立つ海の上で、二度と再び見ることのできないフランスの海岸がしだいに消えて行くのをじっと見つめている彼の姿が私にはありありと目に浮かぶ。
そしてこの時の彼の態度にはどこか雄雄しいところがあり、彼の魂には不堯不屈なものがあったと思う。
このように希望の余韻を以って終りとしたかった。こうすれば、人間の不屈の魂を強く印象づけることにもなろう。ところが,どうしてもそのやり方ではうまくゆかない。どうしたわけか話に入ってゆけない。そこで一、二度試みた末、その方法を断念する他なかった。そこで又最初から普通のやり方で書き始め、ストリックランドの一生について私の知っていることを、私が真相を学んだ順序に従って述べるだけに止めようと決心した。

今私が持ち合わせている真相は断片的である。私は宛かもたった一片の骨から死滅した動物の姿形のみならず習性までも再現しなくてはならない生物学者と同じ立場に立っている。
(そうなんだ)

ストリックランドはタヒチ島で彼と接した人達に何等特別な印象を与えなかった。ストリックランドは始終金に窮している港のごろつきにすぎなかった。ただ目立つところと言えば、人人にとって阿呆らしいと思われるような絵を描く奇癖だった。
(そうか当時は阿呆らしいと思われる絵だったんだ)

彼が死んでから数年経ち、パリやベルリンの画商が、今なおタヒチ島にいくらか彼の絵が残っているかもしれないと、代理人をよこした時になって始めて、偉い人が自分たちの中に暮らしていたんだなと気づく次第だった。そのときになって彼等は、今なら高い値につくカンヴァスを、あの頃なら二束三文で変えたかもしれないのにと気づいた。せっかくののチャンスを逃してしまったとて、自分自身に腹が立ってならなかった。
奇妙ないきさつでストリックランドの絵を一つ手に入れたコーアンという名のユダヤ系の貿易商がいた。小柄な郎フランス人で、柔和な親切そうな目と感じいい微笑を持っている。半ば貿易商、半ば船乗りという男で、快走帆船を持っていて、パウモトウー群島やマルケーサス群島の間を大胆にめぐりながら、小品を持ち出し、コプラ(やし油の原料)や弾や真珠を持ち帰った。私は人からコーアンが大きな黒真珠を持っていて、喜んで安く売るということを聞いたので、彼に会いに行った。ところが当の黒真珠はとうてい私の資力の及ぶところではないとわかったので、私はストリックランドのことを彼に話し始めた。彼はストリックランドをよく知っていた。
(ここからはお客さん 上の本を読んでください。もっとつづけたいのは やまやまですが このとおり72歳の目は 弱って来るばかりでね)

あのいつも金にこまっていたストリックランドの絵が 亡くなって数年経ち パリではえらい値が上がっているということなんですね。誰も想像だにしませんでしたね。 タヒチ島辺りに入りこんで貿易をしているユダヤ人のコーアンの奥さんは こんな絵恥ずかしくて壁にかけられないわなどといって 屋根裏にがらくたとしてほおりこんでおいたんでしたね。奥さんは棄てない人だったのでね。それがコーアンの弟がその絵を送ってくれといって 画商に見せたところが三万フランで売れたんですよね。みんな驚きました。
こういうシーンは人ごとながらわくわくしませんか?

コーアンは言います
「可哀想なストリックランドがまだ生きていたらなあ。私があの絵の代として二十九万千八百フラン払ってやったら、ストリックランドは言った以南と言ったでしょうな」
(この差し引いた金額が面白いですね、三万フランじゃなくて)
 
《 2021.05.26 Wed  _  読書の時間 》