
『月と六ペンス』
人の中には「目的地にどうやったら着くだろうか」と 若いときから 老人に至る迄 考え続けている人がいます。そのために遠回りにしたり(いろんな理由で)どうもそこは自分が着くところではないのではないかとあきらめかけたりします。その目的地がきらきらとしているとしたら 着いてしまうともったいないこともありそうです。きのう人に会っていてそう思いました 旅の経過の話があまりにも面白かったからです。
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ストリックランドの神の生活は、夢と、途方もなく激しい仕事の中にあった。
つい彼の女性関係をあれこれと書いてしまったが、この方面は彼の生活の中ではとるに足らぬ部分にすぎないのだ。世の中で愛がいちばん大切だなどという男はごく少ない、しかもそういう男はあまり面白い人物じゃない。
しかし男は、恋愛している短い期間すら、他のことをして気をまぎらす。生計を立てる手段としている職業に注意を向けるし、娯楽に没頭するし、芸術に興味を向けることもできる。男はさまざまの活動をそれぞれの仕切り部屋に入れておく、そして一時的に他の全部を締出して一つだけ追求することができる。その瞬間に自分が没頭しているものに全注意を集中する能力がある。その他の物が侵害してくると、うんざりするのだ。
愛人としての男女のちがいは、女が一日中愛していられるのに対し、男は時々しか愛せないという点だ。
ストリックランドにとって性欲は実に僅かの場所を占めているにすぎない。下らんことであり、うんざりするものである。彼の魂はよそを目指している。彼は激しい情欲にかられることがある。そして時には欲望が彼の体に取りつき、彼を肉欲の乱交にかり立てる。しかし彼は自分から冷静さを失わせる本能を憎んでいる。それのみか、自分の放蕩の欠くべからざる相手をも憎んだろう。再び冷静をとりもどした時、たのしんだ女の姿を見て身震いする。
芸術は性本能の一つの現れであると私は思う。
ストリックランドが正常な性の解放を憎んだのは、芸術上の満足感と比べて、野蛮であるように思えたからだということはあり得る。
自分の目的一筋に生きていた。そしてそれを追求するためには、よろこんで自分自身を犠牲にしたのみならずーそれだけのことなら、出来る人はいくらもいるー他人をも犠牲にした。彼には一つの夢があったのだ。
ストリックランドはいやらしい男だ。それでもなお、彼は偉大な人間であると思わないではいられない。
* 女のことに重点を置いたのは よくなかったと言いながら「私」は多くを女生と男性についてさいている
これらの言葉はさてどうなのかわからないけれども 作者はストリックランドという男のことを書いているようで自分の男性観を述べていると思うんだけど。で、それは勉強になりました(笑い)
だからあ いやらしいところと芸術がどこかで結びついているかもしれないし 偉大な部分も人は持っているということなんですよね。だって人間はいろんな面を抱えているもんだから 一つだけ取り出して なんとかだということはできないでしょうね。