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モームさん

スキャン4799.jpeg『月と六ペンス』

 このことを感じているので、ダーク・ストルーヴは私にとって、他の人が思っているようにただ単にからかいの対象とはならなかった。彼の仲間の画家達は、彼の絵を大っぴらにけなしていたが、彼はかなりの金をかせいでいた。そこで仲間達は彼のふところをあてにするのに少しもためらわなかった。ストルーヴは気前がよかった。貧乏画家連は金に困ってるんだと言えばすぐ単純に信用するといってはストルーヴのことを馬鹿にして笑っておきながら、ずうずうしくも金を借りるのだった。ストルーヴは非常に情にもろかった。しかし彼の感情はあまりにも簡単に燃え上がるので、なんとなく馬鹿々々しいところがあった。だから人々は彼の親切は受けても、それに対して感謝の念というものは湧かないのだ。彼から金をとることは子供から物を盗るようなものだ、そしてあまりの間抜けさ加減に軽蔑したくもなるのだ。きっとすりなんかも、自分の指の器用さを自慢しながも半面、化粧箱の中に宝石を全部入れたまま車に置き忘れるような不注意な女に対して、腹立たしいような気がするにちがいないと思う。自然の神はストルーヴをあざけりの的にした給うたが、そのあざけりに対して無感覚にはして下さらなかった。彼を肴にしてたえず悪ふざけや冗談が横行したが、ストルーヴは身もだえして苦しんだ。そのくせ、まるでわざとしているかのように、冗談の矢面に立つのを止めなかった。たえず傷ついていながら、あまりにも人が良いので、悪意を抱くということができない。まむしは彼を刺すだろう、しかし彼は経験によって悟るというたちではない。痛みがとれればすぐ又胸の中にやさしく置いてやるのだ。彼の一生はどたばた道化芝居の調子で書かれた悲劇である。私は彼のことを笑わなかったから、私には感謝していた。そして同情して聞く私の耳に、悩みのかずかずを綿々と聞かせることがよくあった。その悩みの一番かなしむべき点は、その悩みが不様なことだった。だから哀れっぽい悩みであればあるほど、笑いたくなってしまうのだ。
 しかし、画家としてはそれほどへぼであるが、芸術に対しては実に繊細な感受性を持っていた。だから彼と一緒に絵画展に行くのは得難いよろこびだった。彼の情熱はまじめだったし、批判は痛烈だった。彼は一方に偏しない。十六・七世紀の大画家の絵の真のよさもわかれば、近代画家にも共感を持っている。すばやく天分を発見するし、賞讃をおしまない。この男みたいに判断の確かな男を知らない。しかも彼は大概の画家より立派な教育を受けていたので、大概の画家のように同類の芸術に対して無知であることはなかった。音楽や文学の趣味が、絵画に対する理解に深さと変化を加えていた。わたしのような若いおとこにとって、彼の忠告と指導はまたとない貴いものだった。
 私はローマを発つと、彼と文通をはじめた。そして二月置きぐらいに、彼から風変りな英語で書いた長い手紙をもらった。それを読むと、口角泡をとばさんばかりの熱のこもった身ぶり入りの話しっぷりが目の前に浮かんだ。私がパリへ行く少し前に、彼はイギリス婦人と結婚し、今はモンマルトルのアトリエに落着いている。彼とはもう四年も会っていないし、細君にはまだ一度も会っていなかった。

この画家 ほんま誰? ルソーかな、いや、ロートレックかも 

そうだとしたら、今となってはへぼ画家どころか 天才でっせ。
人にばかにされながらも、そのことで深く傷ついてるのに 反撃に出ない、なんか胸が詰まりそう。
打っている間中 悲しかったなあ。
彼の感情はあまりにも簡単に燃え上がるので
しかし彼は経験によって悟るというたちではない。痛みがとれればすぐ又胸の中にやさしく置いてやるのだ。
彼は芸術に対しては実に繊細な感受性を持っていた。だから彼と一緒に絵画展へ行くのは得難いよろこびだった。彼の情熱はまじめだったし、批判は痛烈だった。彼は一方に偏しない。十六・七世紀の大画家の絵の真のよさもわかれば、近代画家にも共感を持っている。すばやく天分を発見するし、賞讃をおしまない。

そうなんですね
《 2021.04.09 Fri  _  読書の時間 》