who am ?I

PAGE TOP

  • 04
  • 08

モームさん

スキャン4798.jpeg『月と六ペンス』

18

 事実私はパリに来て二週間もならないうちにストリックランドに会った。
 私はすぐダム通りの、とある家の六階に小さな貸間を見つけ、住むに充分なだけの家具を古物商で二百フラン出して求めた。管理人と話し合って、朝コーヒーを作ってもらい、部屋を清潔にしてもらうよう取りきめた。それからダーク・ストリーヴという友人に会いに行った。
 ダーク・ストリーヴのような類の男は、相手の性格次第で、あざ笑いを伴うか、又は当惑を覚えて肩をすくめるかせずには思い浮かべることのできない男なのだ。自然の神は彼を道化者に作り給うた。彼は画家である。しかし実にへぼ画家で、私はローマで彼に会ったのだが、今でも彼の絵を覚えている。彼はごくありきたりなものに対してしんから情熱を抱いていた。芸術愛で胸を高鳴らせながら、彼はスペイン広場でベルニーニ(1598−1680、イタリアの彫刻家、建築家)の階段にぶらつくモデルを画いた。モデル達が一見してあまりにも絵画的でありすぎることなど物ともしない。そして彼のアトリエにぎっしり詰ったカンヴァスには、口髭をはやし、大きな目の、先のとがった帽子をかぶっている百姓達や、似つかわしいぼろをまとったいたずら小僧達や、派手なペティコートをはいた女性が描かれていた。これらの人物が、教会の階段にいこっているのもあれば、雲一つない空を背景にしていと杉の木立の中でのんびり過ごしているのもあり、ルネッサンス風な泉のほとりで恋をしているのもあれば、牛車と並んでカンパーニア(ローマ付近の広々とした平野)をぶらぶら横切っているのもあった。それらの絵は丹念に描かれ、丹念に塗られていた。
写真でさえ適わないほど正確だった。ヴィルラ・メディチ(1540年に立てられた別荘で、1600年にメディチ家の所有物となり、1801年にフランス美術院が此処に移された)にいた画家の一人が、彼のことを「チョコレート箱の巨匠」と称した。彼の絵を見ると、モネやマネや、その他の印象派の画家など存在しなかったのではないかと思わせるほどだった。
「ぼくは巨匠ぶるつもりはない」とストルーヴは言った。「ぼくはミケランジェロではない、うん、だが僕にも取り柄はあるさ。僕の絵は売れる。いろんな種類の人達の家庭にロマンスをもたらす。知ってるかい、僕の絵を買うのはオランダ人ばかりじゃないんだぜ、ノルウエー人も、スウエーーデン人もデンマーク人も買う。買うのは大概商人か金持ちの貿易商だ。そういう国の冬がどんなものだか、それは想像以上だよ、実に長くて、暗くて、寒いんだ。彼等はイタリアってとこは僕の絵のようなところだと思いたいのさ。そう思い込んでいるんだよ。僕もここへ来るまでは、イタリアってとこはそういうところだと思っていたものな」
 おそらくこの幻影が、いつまでも彼の心に残り、彼の目をくらませ、お陰で彼は真実の姿を見ることができなくなっているのだろう。そして残酷な現実にはおかまいなしに、ロマンチックな山賊や、絵画的な廃墟を心の目で見続けているのだ。彼の描くものは理想像である、貧弱な、彼の性格にくっきりとした魅力を添えているのだった。

ここのところを読んでいる間、「チョコレート箱の巨匠」とはいったい誰なんだろうと 想像してみるのした。時代の知識があやふやな私は ゴーギャンは ストリックランド、ダーク・ストルーヴは誰なんだ?へぼ画家でローマで会った。ごくありきたりなものに対してしんからっ情熱を抱いていた?口髭をはやし、大きな目の、先のとがった帽子をかぶっている百姓達や、につかわしいぼろをまとったいたずら小僧達や、派手なペティコートをはいた女ども
お客さん誰ですかこの画家?
ルオー、ロートレック しらんけど、違うなあ「写真でさえ適わないほど」ってあるから。絵が浮かんで来た、しかし名前は出て来ない。
「僕は巨匠ぶるつもりはない」それはいいけど。売れる絵描きとなると・・・
ルノワール ちゃう? ちゃうなあ、イタリアの感じはないもんなあ。マチス?マチスはピカソの近くでしょう
イタリアって ものごっつう寒い所からしたら ええ所に感じられたんやなあ で
誰が感じたん?

コラヴォレーション
《 2021.04.08 Thu  _  読書の時間 》