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モームさん

スキャン4750.jpeg『月と六ペンス』

招待されることはまれだったし、私はよろこんで婦人の招きを受けた。私は少しおくれて出向いた。というのは、早すぎてはいけないと思って、大会堂のまわりを三度歩きまわっていたからで、ついた時は、もう殆ど顔がそろっていた。ウオーターフォド女史も出ていたし、ジェイ夫人、リチャード・トワイニング、ジョージ・ロードも居た。我々はみんな作家だった。頃は初春、天気は快晴、我々は上機嫌だった。とりとめもなく、語り合った。ウオータフォド女史は、黄色がかったみどりの服を着てらっぱずいせんを一輪手に持ってパーティへよく出たごく若い頃の唯美主義と、ハイヒールやパリ製のドレスの方に傾いてきた中年の気まぐれとの間で、どっちつかずにさまよっているが、この日は新しい帽子をかぶっていた。そのおかげで、女史はすこぶる張り切っていた。私たちの共通の友についてこの時ほど女史が毒舌をふるっているのを聞いたことがない。下品は機知の精髄(せいずい)と心得ているジェイ夫人は、殆ど囁くような声で、雪のように真白なテーブルクロスさえバラ色に頬を染めそうな話をするのだった。リチャード・トワイニングは
風変わりなたわごとに笑い興じているし、ジョージ・ロードは既にきれ者で世に通っているので、今更それを示す必要もあるまいと、食物を入れる時しか口を開かない。ストリックランド夫人あまりしゃべらないが、話を皆に興味のある話題にしむけることができる気持のよい才能を持っていた。話がとぎれると、ちょうど適切な言葉をさしはさんで、もう一度話をはずませる。三十七歳で背は高い方、肥ってはいないが、丸味がある。美しくはないが、感じのいい顔だった。それはおそらく主としてやさしい茶色の目のせいだろう。皮膚の色はどちらかというと青白かった。黒い髪を手の込んだ結い方でまとめていた。三人の女性の中で、化粧をしてないのは婦人ただ一人だったので、他の二人と比べると、素直な気取りのない人に見えた。

作家というのは よー観察しているものですねえ。感心感心!自分はお笑いが好きなせいか 喜劇にみえるのですが。
簡単すぎますか?


さて 『現代に生きる サマセット・モーム』
映画最初の「人間の絆」は日本では『痴人の愛』と題されて、1934年に後悔される。題名から察せられるように、これは、谷剤純一郎の同名の作品(1924年)から借用したものだろう、というか、、モームの自伝的さくひんのために、この背徳と耽美の世界が描かれる日本文学のタイトルから借用したのは、この頃の映画配給会社にとってあまり躊躇しない選択であったかもしれない。とりわけ、映画版がフイリップとミルドレッドの泥沼の痴情は、モームにしても映画の演出家にとっても、決して空想的でロマンチックな面に焦点をあてているのではないことが明らかになろう。この映画では、ハリウッドを代表するスターたち、ペティ・デイヴスがミルドレッドを、レスリー・ハワードがフイリップを演じた。デイヴィスはこれによって、演技的に開眼し、戦後までハリウッドを代表する女優として活躍する。
一方、ハワードは、当時40代、とても医学生にはみえず、どうしても原作の20代の青年ヒーローにはみえなかった。ちなみに、彼は後に『風と共にサ去りぬ』の映画版で、ヴィヴィアン・リーのスカーレットから一方的な愛を捧げられる作中の準ヒーローを演じることになる。


このページでは谷崎潤一郎の『痴人の愛』という言葉で 谷崎ファンの夫が頭をよぎり しかし清水明さんは話の途中で『痴人の愛』映画上映時にはまだ『人間の絆』はおろか、モームの小説は、短編の一部を除き、まだ翻訳されていなかったことを思い出したとあります。いいですねこの書き方。「あれ」というふうでね。
ハワードはヴィヴィアン・リーと共演したあの俳優だったんですね。あの役は今となっては いいですね。
ヴィヴィアン演じるスカーレット・オハラ、クラーク・ゲーブル演じるレット・バトラー、若い頃はこの二人にドキドキしていましたが 今となってはハワードファンです。そうかと感心しつつ、です。アシュレイでしたっけ。 

《 2021.02.14 Sun  _  読書の時間 》