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モームさん

『月と六ペンス』
 その頃の私に誰よりも親切にしてくれたのは、ローズ・ウオーータフッドだった。男のような知性と女らしいいこじなところがまじりあった女で、彼女の書く小説は独創的でしかも人をまごつかせた。私がチャールズ・ストリックランドの婦人に会ったのも、彼女の家でのある日だった。
ウオーータフォド女子は茶会を開いていた。女子の小さな部屋はいつもよりもっとすしずめだった。
誰も彼もがしゃべっているらしいのに、私だけが黙然として座っているのは、どうも気まずかったが、かといって、仲間うちの話に夢中になっているらしいグループのどれかに割りこんで行くことは、恥ずかしがりやの私にはできなかった。ウオーター・フォッド女史は立派な女主人だったから、私が気まずいおもいをしているのに気がつくと、私のところへ着て、「ストリックランドの奥さんに声をかけてあげて下さいな。あなたの本のことをほめちぎっていらっしゃるわよ」と言った。
「何をしている方ですか」と私は聞いた。
 私は自分の世間知らずを承知しているから、もし、そのストリックランド婦人とやらが有名な作家でもあれば、声をかける前に、その点をたしかめておいた方がいいと思った。
ローズ・ウオータフォッドはさもしとやかに目を伏せたので、答えの効果は更にあがった。
「「昼食会をなさる方なの。ちょっと大きなことをいいさえすればいいの、きっとあなたをパーティによんで下さることよ」
 ローズ・ウオータフォドは皮肉屋だ。人生とは小説を書く好機だと思っているし、社会とは 小説の素材だと思っている。その社会のメンバーが、彼女の才能を認めると、自分の家に招待して、適度に気前よくもてなすこともある。彼らの名士熱を愛想のよい軽蔑を込めてみているくせに、彼らの前で著名な女流文士の役割を堂々と演じてみせるのだ。
 私はストリックランド夫人のところへ連れて行かれて、十分ばかり話し合った。気持ちのよい声をしているという以外にはこれといって特に気をひかれるところはなかった。婦人はウエストミンスターにフラットを持ち、未完成の大会堂が見晴らせるということだった。住まいが近所同士だというのでお互いに何となく親しみを感じた。陸海軍購買組合の売店はテムズ河とセント・ジェイムズ公園との間に住むすべての人を
結びつけるきずなのようなものである。ストリックランド夫人は私の番地をたずねた。それから二、三日の後、私は昼食への招待状を受け取った。

ウオータフォドという女性に茶会で会う話ですね
ここからどういう展開になるかはまだわかりません
こういう所にも この人の文には 人に接するときのやり方などが書いてありますね。
「昼食会をなさる方なの。ちょっと大きなことを言いさえすればいいの、きっとあなたをパティーによんでくださることよ」
ま この人にはこういう接し方、あのひとにはとパーティーの女主人はこころえているわけですね。
だって そういう人がいないと こういうパーティーに不慣れな人には いたたまれないですからね。
「ローズ・ウオータフオドは皮肉屋だ。人生とは小説を書く好機だと思っているし、社会とは 小説の素材だと思っている。その社会のメンバーが、彼女の才能を認めると、自分の家に招待して、適度に気前よくもてなすこともある。彼らの名士熱を愛想のよい軽蔑を込めてみているくせに、彼らの前で著名な女流文士の役割を堂々と演じてみせるのだ。」ね うまいでしょ社交というのが

この時代の人との付き合いを あますとこなくとりいれ小説にも生かせると思っているローズ・ウオータフォドのことを これ誰が観察してるの?などとややこしい名前を間違えながら打つ私です。そのうち 分ると信じて。

さてと『現代に生きるサマセッット・モーム』の方はどうなっていましたかね。モームさんは初めの頃は作家というより劇作家としてイギリスよりアメリカでの高い評価を受けていたんですね。ところが長編「月と六ペンス』で小説家として評価されていくんですね。えっ長編?『月と六ペンス』確かに。弱ったなあ
1919年
もし今日のくだりなどがモームさんの自伝にちかいとするならば、これはまだちょっと頭を出しかけた頃の
様子かもしれませんよ。ひげをはやしたモームさんの写真、でてますよ。相変わらず男前です。
1920年末、トーキー映画のころ。「雨」というのが映画化されたそうですよ。この映画が日本に入って来たのは1932年。スキャン4749.jpeg

この写真はコマです。お正月にははねついてコマを回して遊びましょ♪ 唱ったものです
これはひもでまわさないとまわりませんよ どこのおいたかなあ


《 2021.02.13 Sat  _  読書の時間 》