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モームさん

スキャン4748.jpeg『月と六ペンス』
私は彼等の言葉を聞いて頭がいいなと思ったのを覚えている、そして仲間の作家が一たんその場から姿を消すとたちまちとげのあるユーモアで徹底的にやっつけるのを、私はあっけにとられて聞いたものだ。
芸術家はこの点で世界中の何者よりも特権階級といえる、即ち芸術家にとって、友人は皮肉の対象として容姿や性格ばかりか、作品まで提供してくれるのだから。私は彼らのように即座にすらすらとしゃべるなどという望みはまったく棄てていた。あの頃はまだ会話が一つの芸術として修練された時代だった。
気の利いた即答は、「釜の下にもゆる荊棘の声(おと 伝道の書、七章、六節)の空しさに比べて、遥かに高く評価されたし、警句もその頃はまだ退屈な人たちが機械的に適用して機智まがいの成果をあげていなかった頃だから、洗練された人々の世間話に活気を添えていた。しかし悲しいかなこういうウイットのひらめきを私はどれ一つ覚えていない。然し文士達の会話が一番のびのびと落ち着きを見せるのは、彼らがやっている芸術の他の一面であるところの商売上の細目に話が向く時である。出版されたばかりの新刊書の長所について云々した後で、話が自然におもむくところは、何部売れたろうか、著者はどれほど前払金をもらったろうか、この本でどれほどもうけがありそうだろうか、という点である。次いで話はあれこれの出版社の噂に写りあっちの方は鷹揚だか、こっちの方はけちだとかいって比較する。はたしてたっぷりと版権を払ってくれる出版社へ持っていったほうが利口か、或は本の価値如何を問わずよく売りこんでくれる方を選ぶべきかを論ずる。ある出版社は宣伝はまずいが、ある出版社はうまい。ある社はモダーンだが、ある社は旧式だ。次いで話は代理人のことや、彼らが我々作家のために獲得してくれた申し出について、或は編集者のこと、どういうたちの寄稿を彼らがよろこぶか、千語に対してどれほど払うか、即金で払うか否か、等々。私にとってはこういう話はどれも非常にロマンチックに思われた。何かある秘密結社の一員にでもなったような親近感を覚えたものだ。

=この作家達の集まりは まるで秘密結社の一員になったような親近感を覚えたものだ。=
そうでしょうね。
編集者たちも 興味を持って読んだでしょうか。そして私も面白かったです。

『現代に生きるサマセット・モーム』では いま『人間の絆』のところを読んでいます。

主人公フイリップは女性たちの出会いと別れ 自己の人生観、芸術観に微妙な影響を与えていたクロンショーなどが ときとともに衰えたりして行くのを見ている。
ある日、南アフリカに出征していた友人のヘイワードのあっけない病死の知らせが入り、人生の無情さを思ううちに、突然、ペルシャ絨毯の謎が解ける。
(きのうのあのペルシャ絨毯ですね。)
ー人生に意味などなく、職人が自分の好みに合わせて機を織るように、自身の絵模様を織りさえすればよい、ということなのだ。「人が生まれ、働き、結婚し、子どもを持ち、死ぬ」という、単純な人生も
また完全な絵模様であると悟り、彼女に結婚を申し込むのである。
(モームさんのこの『人間の絆』での言葉、お客さんどうですか)

写真は かの有名な女性のせなかをヴァイオリンにみたてた マン・レイ といきたいところですが
古木ですので おばあちゃんヴァイオリンですね。レコードにくるくる油絵の具
そこにこういうものがあれば 手にとって いたずらのようなものをやってのける
これも自分の好みに合わせて織っているのです なんちゃって (ちょっとモームさんの感じにしてみましたよ)




《 2021.02.12 Fri  _  読書の時間 》