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モームさん

スキャン4744.jpegサマセット・モームの『月と六ペンス』を 読みはじめますと これはおもしろいかもと ここの辺りから感じはじめました。
買ってここでも紹介させて頂いた『ピカソとその周辺』の事を思い出しました。そのピカソ恋人オリヴィエがピカソと暮らしていた頃に出会った人々 その周辺の出来事などが親しみ深く感じられる本です
さて

だがこれはすべて余談である。私が処女作を書いたのはまだごく若い頃だった。幸運にもその作品が夜の注目を浴び、様々な人が私との付き合いを求めた。恥ずかしさと期待の入りまじった気持ちで私が始めて紹介された頃のロンドンの文壇の事をあれこれと思いめぐらすと、何か物悲しいような気分がしないでもない。
私が足しげくそういう集まりへ顔を出していたのは、ずいぶん昔のことである。現代の文壇の風変わりな様子を描写した小説がもし正確であるとすれば、文壇も今ではずいぶん変ったものだ。だいいち集合地が変った。昔ははハムステッドやノッチング・ヒル・ゲイトやケンジントン・ハイ・ストリートだったのが、今ではチェルシーやブルームズベリが取って代わっている。当時は四十歳以下なら非凡とされていたが、今では二十五以上では間が抜けているくらいだ。あの頃、私たちは感情をあらわすことを少し恥じていたように思う。そして物笑いの種にされるのがいやさに、露骨なてらった態度は控えていたものだ。あの上品なボヘミア(文壇のこと)に純潔という高度の文化が発達していたとは思えないが、少なくとも、現代行われているらしい野蛮な乱交は思い出せない。私たちは例え気まぐれなことをやらかしても、その上につつしみ深く
沈黙というカーテンを引いた物で、そのことを別に偽善だとは思っていなかった。私たちはことさら事実より悪く言うようなことはしなかった。女性もまだすっかり自分の力で一家をなすところ迄は行ってなかった。

読み進めて行きますと 現代(いま)がこの内容と比較できるほど 今私のいる所は 時はすぎているということですね
昔はよかったということにはしないで その時代を読んでいくと 見えて来ること はたとえばボヘミア
という言葉は文壇という意味だったことを知る私なんですが モームさんが処女作を書いたころには
ちょっと古めかしい言葉だったということ
そこで 清水明さんの本をひらいて そのモームさんの処女作とはなんだ?と
デビュー作と書いてありますね このいいかたあたらしくない? で 『ランベスのライザ』です
辞書を片手に 大学生のりこでございます
ここでは かっては慎み深かった時代が モームさんの若い時代は そうじゃなくなってしまっていると
描いていますね モームさん 今はさらにと言いかけて ちょっとひっかかりつつ 読み進んで行こうと
軸足というんですか モームさんにとってそこは現代(いま)そして過ぎ去った時代は 一見静かなようにたたずんでいます
振子のようにくりかえすとすると モームさんの軸足 次々やって来る軸足
ここをもう一度読んでみると モームさんの古き良き時代 次ぎのいまを なげいていると こういうことなんですね
まだ読みはじめて間がないので よくわからないのです ややこしいから お客さん もう読まない?
そんなことおいわんと 
今回から、書き写す作業にします。やっぱりそうしてしっかり読まないと なにしろ頭がゆるいので
入ってこないのです
 
《 2021.02.10 Wed  _  読書の時間 》