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モーム

スキャン4746.jpeg「月と六ペンス」これを書き写すには 目が疲れるのです。でも読んでみるのは飛ばさずに読んで見ますね。

ー振り子はゆきつもどりつ振れてれている。同じ円周を永遠に新しく旅しているにすぎないのだ。
例えば、今では誰がジージ・クラップ(英国の詩人1954−1832)のことなど考えるだろう?クラップは彼の時代では高名な詩人だった。世を挙げて彼の天分を認めた。
そこへフランス革命やナポレオン戦争が起こり、詩人たちは新しい唄をうたった。クラップ氏はなおも
脚韻二行連句で教訓物語詩を描きつづけた。おそらくクラップ氏も、世界に非常に大きな感動の渦をまきおこしている若い詩人達の詩はよんだにちがいない、そしてつまらぬ詩だと思ったのだろう。もちろん大部分の詩はつまらぬものであった。しかしキーツやワーズワースのオーヤやコールリッジの詩一、二篇、及びシュリの詩数編は今までに誰も探ることのできなかった精神の広大な領域を発見した。

そして モームは書く 若者について
私はなんとも言えない。私は彼らの洗練された点に敬意を払うー彼らは若いくせにすでに余りにも完成されているので、今さら将来性があるなどというのはおかしい気がするくらいだー私は彼らの文章のうまさに
驚嘆する。しかし彼らの豊富さをもってしても(彼らの語彙を見ていると赤ん坊の時分からロジェイの
『類語辞典』をめくっていたのではないかと思わせるほどだ)私に何も訴えるものがない。彼らはあまりにも知り過ぎているしあまりにも露骨に感じすぎる。彼らが馴れ馴れしく私の背中をぽんと叩くのも、彼らが感情を込めて私の胸の中にとび込んでくるのも腹に据えかねる。彼らの情熱はいささか貧血症のような気がするし、彼らの夢はいささか退屈である。この連中は虫が好かない。私はもう棚上げされてしまった人間だ。しかし私は脚韻二行連句で教訓物語詩を書き続けよう。しかし私がそうするのも自分のたのしみ以外の目的でやるのなら、私は大馬鹿者といわねばならないだろう。

『現代(いま)に生きる サマセット・モーム』清水明さんは現代に生きるということをタイトルとされていますが この本を横に このサマセット・モームの言葉を読んでみますと 自分の辿って来た道を
思い浮かべてみることになるのです。それは「振子は行きつ戻りつ振れている。同じ円周を永遠に新しく
旅しているにすぎないのだ」ということばにつながって 今に生きる自分ともつながってくるのです
自分は 若い時 何もかも分っているというように表現したかも知れない 説教じみた事さえ
それは 虫の好かないと思われるような事であったのかも知れない
それでものこりつづけた 若者たちが キーツとかワーズワースなの?とちょっとこの人たちの詩
はどういうものだったのかしら と
これを書いたときのモーム氏はおいくつぐらいだったのかしらとか
そしてモームもジョージ・クラップ氏も同じことを考えてるやんと
まだ数ページです

上の絵は ええっと71の老人が描きましたんですが


《 2021.02.09 Tue  _  1ぺーじ 》