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ハレヴナの肖像

モジリアーニの絵で「ハレヴナの肖像」というのがあるんです
その表情は決して明るいものではなく かといって悲しみにうちひしがれているふうには見えません
こちらからの視線に会わせているわけでもないけど それでも これは 見る側の人に・・・
なんなの?
その絵はがきを 左において 1997年の自分は こういう事を書いています
ーモジリアーニの絵を見てるうちに「自分はそろそろかわらなくてはならないんじゃないか」と思うように
なった
自分は今までいくつもの可能性があり そう思える一瞬はとてもうれしくて それに従うのが自分の運命
だろうと思っていた
布を集め ふくろをいろいろつくり 服もつくってみた 絵をかき かみねんどをつかってもみた
それは ふえていくばかりで 
ふりかえるとさらに びっくりした
もうそろそろ自分のやってきたことを ふりかえってみる その楽しみに移行しなくては
「あーあ 楽しんだよ あそんだよ」ってね
とても幸せな事の筈なんだけど モジリアーニのハレヴナの肖像は どこかかなしくて
わたしはこれからどうするのだろう

今は2020年23年がたっています
母が死んだのが1994年の終わり そのころから 私は絵を描きながらも こうしてふりかえるようになり この10年程は ふりかえることに楽しみが移っています
それでも まだまだ つづきそうです
ふりかえりつつ もういちど 描きはじめました 手がふるえたりして すいすいとはいきません
カーディガンが 太い木で そのえだに ぶらさがっているような絵です 今のところ
これがはじまってどのくらいかな 12日ぐらい
はじめは 拙いカーディガンをきた自画像からはじまりました 
そのうちいつもの遊びがはじまり
横道を楽しみ 今に至っています

ボタンの色の違う カーディガン
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《 2020.10.15 Thu  _  エッセー 》