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花が咲いていた

花が咲いていた

これはわたしのかぞくの話です
いろいろなことが 家族にはあるものでしょうが それがおわって こわれかけた誰もいない家の中に入ってみますと
そこで 久しぶりに出会ったものは 美しい陽にてらされた きらきらする雫とその水で育った 植物でした
うそのようなはなしですが 雨漏りが そういう光景をつくってしまっていたのです
そして私がそれを見た時間が 陽の光が ちょうどのときだったというわけなんですね
年に一回 福野のお墓詣りに行って 家に入って 二階の自分の部屋だったところにいくと
母の編み物があって お土産の人形などが入っていた戸棚 (やはり父が 色をぬっています)

家にいる頃 十代でしたが 私はひがな 鏡を見ていて それから絵を描く事に熱心になり 
母は畑仕事やら 編み物やら 忙しそうでした 父の大工仕事はほぼ全体に及び いろんなところに父のてづくりがほどこされている

人は 束の間のそこでのくらしのために こんなに熱心に 工夫やかざりつけをするものだろうかと
よその家を見ても そう思います
こんなに家作りに励んだのだから 私は 入口からはいり すこしずつできるだけすみずみまで
家の中を外を見て 表現しようと おもいたったことがあります
それが『花が咲いていた』というタイトルになり そん事はとてもよかったと思っています

自分の夫や子供たちの事も 結婚してから 書きました

「見ること」
 
71歳になった今 これが自分のライフワークやったんとちゃう?
そういうことにしたりして
今頃 その目はとても疲れています じっと見て来たからかな

光る雫と植物
私は そういうできごとに出会って これは父の仕業だとか 思う方で 母の気持ちだと思う方で
感動してしまったのでした
時に信じられないくらい美しい事があるのですね

私たち一家は ぎくしゃくするところもよくありましたし それでも 親は亡くなって
父は母に看病してしてもらい 母はかろうじて私の所に数年いて亡くなりました 
家族はいろいろあるし それぞれ都会に出て行き 新しい家族を成し 忙しくしていたけれども
そういうものかもしれないと 今は思うのです
「子供らが元気でいてくれたら それでええの」父は「誰も帰らんのか」と酒を呑んでグチっていましたが
この『花は咲いていた』は かって連載させてもらいましたよね
忘れます
私は 自分がこうして書いて来たファイルを 一冊一冊 アトランダムに開いてみています


またそんなもんでしょうスキャン4611.jpeg
《 2020.09.24 Thu  _  花が咲いていた 》