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母の自伝

母の自伝
つづく

病院では狭い病室に二人いりだったので大変不自由した
勲に丸山ワクチンを東京の病院にとりに行かせ 良子(お嫁さん)さんが山崎までもって来た
これをうってもらい 夜中にいたみどめをしたりしたが 死亡を宣告されている病人の看病は 本当につらいものだった
本人はそれを知らずトイレに行こうとしたりひげをそったりした
みるのもつらいことだった
夜中大出血をして息苦しくなり 医者さんも手術のあとで なかなか来てくださらず 本人はしきりに医者を呼び
前野さんにまたせていた靖とのり子をよびやせ 意識がなくなってからやっと医者さんが来られ
息を引き取り泣き叫ぶのり子をしかりつけ 患者さんたちが来られるまでに病院を出たいと大急ぎで準備し
靖の車に寝かせ そうそうに三方にかえったが だれもおらず家のかたずけから大変だった
村の人々の世話で何とか葬儀にこぎつけた
たくさんの友人知人にたちにまいっていただき 葬儀を終わらせて頂いた
武と勲はやっと葬儀に間に合った くすちゃんやおとら姉さんも(島根県)来てくださった
お骨ひろいは家の者と前野さんとですました
全部をすまし子供たちも夫夫引きとらし とうとう独りの生活がはじまった
喪中もすましこれから何事も一人でやろうと決心した
義父母を送り主人を送り 子供たちは夫夫結婚させ 私はすべての責任をすました
後は墓参りをしながら家を守ろうと決心した
主人いって八年目を迎えた 


ここで母の自伝は おわっています
母76ぐらいですかね(計算が間違っていなければ)
母の自伝を読んでみたというわけです
母はこのとしから10年生きて そのなかの4年を 私たちと信州で暮らしました
私はこの大学ノートで 母の一生を 見ることが出来たわけですが 
それは私の心に 母のことがすみずみまでいきわたるようでした
人一人が生きていると その間に こんなことが 起こり それも思いもかけないことが起こったりします
これは母の目から見た まわりのことです それはこの機会に 祖母や親戚の人やまわりの人々の娘の私からの目も
伝えたいとも思いました
何はともあれ 母はそのつど歩いたのです その力強さには 驚きました
子どもの頃は 母として 子どもをしていた私ですが こうして 
母の子供時代 少女の時代 学生時代 結婚子どもの母親 老いる つれあいをなくす それは多くの人が経験する事であり 私もその道を 歩いています
それぞれに 苦労も経験します 
同じような年齢を迎えて このノートは私のささえになります
お母ちゃん ありがとう
長い母の自伝を 読んでくださったお客さん どうもありがとうございましたスキャン4605.jpeg
《 2020.09.19 Sat  _  思い出 》