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母の自伝

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母の自伝

つづき
私が畑に一生懸命になると大分大きくなった
勲君は 「お母ちゃんぼく大きくなったら 肥かついであげるね」という
好奇心の強い頃 折角出たボタンの芽をていねいにみんなつんで じまんそうにみせる
おかげで立派なボタンを枯らしてしまった
言ってほしくない事を近所の人に言って あやまりにいったりで さんざんである
食料の心配もなくなり 子供たちにも思うだけ食べさせられるようになった
小学校入学のときは 疎開やなにかとごたごたしたが 夫夫こちらに帰って 田舎の学校へ行き出した
運動会も楽しめるようになった
兄ちゃん(長男)と勲(三男)は短きょりの選手 靖(次男)はマラソン
兄ちゃんも靖も角力(すもう)が強かった
私は中学からの(兄たちの)これらの試合に出かけて おうえんするのが楽しみだった
今は亡きは母の大ぶろしきをもって 応援に行った時の事を なつかしく思い出した
のり子は戦争を知らぬ子で のんびりと育った
これから 子供たちは夫夫に大学に進み 親子共に苦難の道が待っていたのであった
兄ちゃんはゆったりと 靖はチエがつきが早く 神戸にいる時は 看板をみたり 新聞をみたりして難しい字をおぼえていった
子どもには早知恵のつく子と大器晩成型があるのを 子供たちをみて思った
ちいさいときにぱっとせずとも案ずる事はない いつかぱっと花を咲かせる時がくるのだから 焦らない 心配しないでゆっくりと子どもを見守ってやろう


三男の勲ちゃんのことが 書いてありますね
好奇心の強い おもしろい子だったんですね 私がこの兄をみているのとは ちょっとちがいます それがまた興味深い事です
母は それぞれの子ども時代を このようにみていたのですね
後年 長兄の学問をじっくりと極めて行く姿や 次兄の 会社勤めの事はわかりませんが さかなとりが大好きだった事は生涯かわらなかったようです
勲ちゃんは みやげでもなんでも ぶらさげるのがかっこわるいとか
そういう事を気にする所がありました 
子供のときはなんでも いってほしくないことまでしゃべる好奇心の強い子 これは子ども時代と大人になってからと どうつながるのだろうと 思った事でした
ま 自分だって 子どもの頃と 大人になってからと ずいぶん違うような気はしますが 母は私のことをのんびりした子と言っていますが
つまりは のんびりばかりはしてられない世の中だということでしょうか
だれかにおしりをたたかれて 慌てているような気がするのは そのせいかもしれませんね

三人の兄たちは そして父母も いってしまいました
これは 母が書いた みんなそろっている頃のはなしです
この手記で ただ一人残った末っ子の私は それまで 知らなかった事を発見したり 戦争の中 逃げ回った母の大変さを 想像したり 
自分の七十一歳というこの時期に 母の大学ノートはそのつど しみじみとします 
母を一人の女性として見ている自分に 気づかされるのです
《 2020.09.08 Tue  _  思い出 》