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母の自伝

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母の自伝

つづき
福野(父の里)での道もけわしかった
第一に食糧難である 
私が思っていた田舎は正直で親切でと いろいろ考えていた事が
まちがっていたことを痛切に感じた私は 里の(母の)田舎と同じように
考えていたのだ
出雲の方は今考えても 本当に人情の厚いところだった

配給とて皆が食べる一部に過ぎず 都会ではみんな食糧のないのは
同じだったが 田舎は違う
ある所にはちゃんとある 我々非農家にはないのである
この食料を何とか買って 家族を救うのは主婦の仕事かもわからぬが
知り合いはなく 今帰った者にはなんともしょうがなかった
その上 他から買い出しがきて 高く売りたたかれて 高く買っていくので 大変である その上われわれには 高く売れぬので なかなか売ってくれぬ
大人は何を食べても辛抱できるが 育ちざかりの子供には何としても食べささねばならぬ そこの見えている米びつをながめて涙した
母は(義母)交際の広い人だが病床にある 父が(義父)知り合いをたどって少しずつ助けてくださった


母が家族でやっとたどり着いた 父の里は つらかったと 書いています
農業をする人たちは 強いという事でしょうか
これからも そういう食料を確保するのが大変な時代が来るかもしれませんね
日本も経済の発展とともに 若者は農業や清算を軸にする仕事を
はなれていきましたが

私が物心ついた頃には 親は 畑でいろいろなものをつくっていました
それでも あれがまずいとかいろいろ私は 言ってましたね
親にとっては そういうことが いかに値うちのある ありがたいことだったのか この文を読んでいて思いますね
《 2020.08.31 Mon  _  思い出 》