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母の自伝

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母の自伝

つづき
先ず 三男を引き取りに里へ帰った(島根県)
三男はみんなに可愛がられてよいこしていた
姉は三男を自分にくれと言った 兄は自分は(姉)たくさんの子があるのに自分が欲しいと言い合っている
私は大事な子どもを人に渡す気など全然なし 誰にもやらぬと引き取りに来たのだからと 三男をつれて里をたった
その道のりは大変だった 途中でけいほうで おりてひなんしたり
駅で止まって 走らなかったり 三朝でもらった炒り豆を食べては(三男)駅で水を飲みながら主人のいる湯村にやっとたどりついたが 三男は
途中の水のためか食べ物のためか下痢をしてとまらず 親切な医者にかかり 大分長い事湯村におって 帰りかけたが この旅も中々かんたんに
たどりつけず 
とうとう姫路駅では キケンですからみなおりてくださいと 言われたが
こちらも疲れてしんどいので 汽車の中にかくれて出るのを待った
幸いに空襲もなく 出発したが バスもなかなかで(姫路からはバスを2度乗る) 日暮れになるとどうしたものかと困っていたら 下三方(父の里の近く)までのトラックがあってそれにのせてもらい 下三方まで帰り日は暮れるし なれない道をとぼとぼ歩いて(大分遠い)やっと福野(家)にたどりついた
夜の事で道の事は覚えぬが 細いあぜ道で 小川のせせらぎが今でも耳にのこっている
家にたどり着いて よくもしょうもなく みんなのびてしまった
幸いに主人が一緒だったので 知らぬ道ながら たどりつくことができた


前と同じような所を この母の自伝は たどっているようですが
まえよりはさらに具体的に詳しいような気もします
小さな子どもをつれて 三朝から湯村へ 島根県からたどり着くまでも大変だったね 
それから 今度はあぶなっかしい汽車にのって それもかくれてのって それは小さな子供にもつらい旅でしたね
はじめは 湯村からの帰り道 お父ちゃんが 一緒の三人旅だったとは
この文では おしまいごろまで わかりませんでした
父も この母子の旅は きけんで 大変だと思ったのでしょう 湯村の疎開先から一緒に福野に帰ったのですね
母はこのころのことを喋ってはくれましたが 自伝をよむとこういうことまでは 喋ていませんでしたね 兄が豆を食べて下痢をしたということぐらいでした
私は なぜか 豆とみずはあわないと だいぶんまえから 知っていたような気がします きっとこの話を聞いていたからかもしれませんね
この旅でも いつもきけんととなりあわせです
幸いにして生き延びた父母と兄 今はもういません


《 2020.08.30 Sun  _  思い出 》