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母の自伝

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母の自伝

つづき
家もなし これから何とか学校へ行ってみなくてはと思ったが 通いなれた道は 電柱や かわら やけた木が重なり目標は焼け どうしたらいいかわからない 焼けた上を歩き とにかく出かけた
家からは近かったが わりと長くかかり やっと学校にたどりついた
幸いに学校は鉄筋だったので 焼け残っていたが どこもかしこも死体が
ごろごろし 足の踏み場もない 
理科室に行ってみると台の上に 男の人の大きな死体が大の字にしてあった 死体をみても平気だった
家の近くでやけぼっくりのようになった死体をたくさんみていたので
こわくもなかった
町内の人たちもたくさん犠牲になった
それを悲しむまもない
児童の中に戦災孤児がたくさんできていたのである
昨日まで豊かにくらしていた子も貧しかった子も同じ境遇になってしまったのである
その日から 私は学校で死体と共にすごした
身よりのなくなった子供たちの二次疎開が待っていた
私もついて行くことにきめた
早くついている子どもと一緒になり集団生活がはじまった
ふつう学校では授業が終われば家に帰っていたのに24時間体制で
これは大変な事です 学校ではわからなかった子どものことが 次々
判ってくるにしたがって 大変な事だとつくづく思いました


学校で死体と共に すごしたんですね
ああいう状況では 死体をたくさんみて来たので こわくなかったと書いてありますね 
このときをさかいに 豊かに暮らしていた子も 貧しかった子も
同じ境遇になる
親たちとの子どもの頃の思い出は 父に自転車に乗せてもらった事など
いろいろ私にもありますが 戦災で孤児になってしまっては それからの
思い出が作れないのですね 最初のうちは 何がなんだか判らないままに
おなかがすくだけでも やがて悲しみがやって来るでしょうね
 
最近では サヘルローズさんのドキュメンタリーが 胸を打ちました
お客さんは どうですか
《 2020.08.27 Thu  _  思い出 》