母の自伝
つづき
バクダンはようしゃなくおちてくる
有馬の方へ行く電車の通るトンネルにひなんした
誰ともなしに ここはきけんだぞ バク風でとばされるぞとみんな大さわぎをして飛び出し 山の方へ逃げた
どこが安全地帯と判らぬままに とにかくみんなといっしょに逃げた
飛行機も去ったらしいので みんなぞろぞろ家のほうへ引き返した
帰ってみるとそこらあたりは 焼け野原で何もなく 私の家では 釜に水を入れて置いたのがフタは焼け 釜だけぽつんとのこっていた
また義父がもって来ていた農具も先だけのこっていた
後はみんなきれいに灰になっていた 昨日までひとりで 一生懸命につくった荷物も 今日とりに来てもらうところだったが すっかりやけ
私が嫁ぐ時にもって来たものすべて灰となった
もちろん主人の大切にしていた本も植物も
私は何となし ほっとした
荷物のことなど気になっていたが これで我が身だけになったので気がらくになった 荷物など何の未練もなくなった
見渡せば 家は高台にあったが兵庫駅の方はすっかりやけ 一望に見渡せ
昨日までなりひびいいた けいほうの柱 なぜか一本だけぽろんとのこり
これでけいほうもなることもなく 家のあかりの心配もない
火事のため お月さまは赤くなり こんなすごい火事は一生見ることもできないと思うほど 広範囲のものだった
*
「あれっ」と思うほど 同じシーンが 書かれています
ページを間違えたのかなと思うのですが 微妙に違った表現もあるようで
そのままいきます 母の思い出す事が この神戸大空襲の時には 強烈だったのでしょうか
ここでは 自分が大丈夫だろうかという事よりも 自分の家や持ち物
そんなものが 焼けてしまって 身軽になったと書いていますね
母がバクダンでやられてしまう事だってじゅうぶんあったのに
こういう事態になった時 母はこういうふうだったのですね
われわれは いろんなものを かかえていますね 大切なもの 日用品など それが なくなってしまうと 気持ちが こういうふうになるのかもしれませんね
がらくたを だいじにかかえている 自分は 欲ぶかいのかもしれません
母の手記を読んでいると 今の自分はどうなんだろうと 考えさせられるのです